もはや現行モデルではないですが、XR250BAJAとか、XLR250 BAJAとかの車名を聞いたことはあるんじゃないでしょうか。で、このBAJAを"バジャ"という人がときどきいて、BAJAマニアとしてはちょっとがっかりなんですね。そう、BAJAの正式な読み方は"バハ"なんです。では、そのBAJAとはなにか? 今回はそれについてちょっと書きましょう。

スペイン語読みだと


 ちなみに国によって読み方が変わるってのはある程度しょうがないことで、イタリアではヤマハのことを"ヤマカ"、KTMのことを"カッパティエンメ"と言ったりします(笑)。
 というコネタはさておき、では、なぜBAJAをバハと読むのか。それは、BAJAとはメキシコにある"バハカリフォルニア"半島で、1967年から開催されているBAJA1000というレースがルーツだからです。メキシコはスペイン語圏なので、バジャではなくバハと読むわけです。
 

画像: 1987年に発売された、初代XLR250 BAJA。

1987年に発売された、初代XLR250 BAJA。


 BAJA1000というレースは、パリダカと並び、世界的に人気の高いオフロードレースです。1967年の初回は"メキシカン1000ラリー"という名前で開催されたことや、砂漠を走る長距離レースであることからラリーと思っている人も多いのですが、BAJA1000はタイムアタック形式のスプリントレースです。スタートからゴールまでの時間を競うものです。
 ただし、スプリントとは言ってもコースの距離が長い。コースは年によって変わるのですが、バハカリフォルニア半島を縦断する「ストレート」の場合は1600〜1800kmくらい、半島の北部だけを使用する「ループ」の場合は1000〜1400kmくらいのコースになることが多いです。
 ちなみに2輪と4輪が一緒に走ることもこのレースの特徴です。2輪がスタートしてから数時間のインターバルをおいて4輪がスタートするのですが、4輪のトップはむちゃくちゃ速いので、ライダーはほぼ全員4輪に抜かれます。ちなみに2輪の最高速はだいたい160〜180km/h近辺、4輪は300km/hに近いと言われています。

画像: 2012 BAJA1000のコースマップ。この年は1121.55マイル、約1800kmのコースでした

2012 BAJA1000のコースマップ。この年は1121.55マイル、約1800kmのコースでした

東京から熊本くらいまで一気に走るレースです


 ピンと来ない人は、まあ東京から熊本まで、あるいは青森から山口まで一気に走るレースだと思ってくれたらいいです。しかも、ほとんど全部オフロードで、と。
 これだけ長いコースなんで、基本的にライダー複数人でチームを組み、途中で交代しながら闘います。サポートカーに交代用のライダーを乗せ、レーシングコースが舗装路とクロスするところまで先回りしてライダーを待ち、交代します。
 さて、この距離をだいたいどれくらいで走るのか。トップクラスのライダーたちは、1600kmをだいたい16時間で走ります。つまりはアベレージ100km/hですね。アマチュアのライダーは24時間くらい(アベ66kmくらい)。ちなみに完走するには制限時間が決められており、毎回だいたい50km/hくらいがボーダーラインとなっています。

画像: BAJAシリーズの元になったホンダのファクトリーマシン(XR600R)。ライダーはBAJA1000キングのジョニー・キャンベル。BAJA1000で9連勝を含む11勝を上げた伝説のライダーです。このヘッドライトは本田技研朝霞研究所製。

BAJAシリーズの元になったホンダのファクトリーマシン(XR600R)。ライダーはBAJA1000キングのジョニー・キャンベル。BAJA1000で9連勝を含む11勝を上げた伝説のライダーです。このヘッドライトは本田技研朝霞研究所製。


 このレースがラリーとは違うところは、夜もレースが続いていること。ラリーの場合も「夜になっちゃう」ことがないわけじゃないですが、原則的に夜は休みます。しかし、BAJA1000の場合はスタートしたらゴールまでずっとレースです。なので、夜の砂漠をハイスピードで走るため、明るいライトが必要になるのです。ちなみにBAJA1000はどんなところを走るのか。
 下の映像はツーリング時のものですが、良かったら見てください。レーシングコースを走っています。0:50くらいからを見てもらうと、BAJAのスピード感が感じられると思います。


 大きなヘッドライトは重いので昼は外しておき、夕方にサポートカーと会ったときに装着するのですが、細い車体に巨大なヘッドライトを装着したBAJA1000のレーシングマシン夜仕様はどこかユーモラスかつ斬新。そのスタイルをもって誕生したのが、初代XLR250 BAJAだったのです。

 1980年代、BAJA1000では毎年ホンダとカワサキの熱いバトルが繰り広げられており、80年代後半からは日本からも多くのライダーが参戦するようになりました。日本から参戦するチームの中にはホンダの有志が集まったチームもあり、彼らが作ったスペシャルライト付きのマシンが、XLR250BAJAのルーツとなったのです。
 アメリカ人もメキシコ人も、BAJAのことはバハと読み、誰もバジャとは言いません。なのでみなさんも今後BAJAを見ることがあったらぜひ「バハ」と言ってくださいね。

画像: 4輪はむちゃくちゃ明るいライトをたっくさん付けて走ります。まるでUFOのよう。写真は2012 BAJA1000。

4輪はむちゃくちゃ明るいライトをたっくさん付けて走ります。まるでUFOのよう。写真は2012 BAJA1000。

画像: ちなみにコースはぶっ飛ばせるところばかりでもなく、ガレ場など難しいところもところどころあります。写真はツーリング時に撮影したもの。

ちなみにコースはぶっ飛ばせるところばかりでもなく、ガレ場など難しいところもところどころあります。写真はツーリング時に撮影したもの。

画像: ホンダは2輪部門からはすでに撤退していますが、2015年は4輪でカムバック、ファクトリーマシンを送りこみました。みごとクラス優勝。リッジラインの次期モデルをイメージしたモデルです。

ホンダは2輪部門からはすでに撤退していますが、2015年は4輪でカムバック、ファクトリーマシンを送りこみました。みごとクラス優勝。リッジラインの次期モデルをイメージしたモデルです。

 次回は、このBAJA1000がどうして始まったのか、そのへんについて書きたいと思います。じつはこのレース、日本のとあるバイクメーカーと非常に深い関わりを持って生まれたレースなんです。

 最後に、ホンダによるファクトリー仕様のBAJAマシン、CRF450X BAJAのインプレ動画が残っていたのでアップロードしておきます。ライダーは今年ダカールに二輪で復帰し、みごと完走した三橋淳選手です。


 

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