もはや他のバイクには縁がない、と思うと、他のバイクも気になりだすものだ。ふと、昔のバイク遍歴を思い返すうちに、意外と写真が残っているものが少なく、また記憶の奥で風化しているバイクも多いことに気がついた。そこで古いアルバム(ほぼデジタル以前のものが多い)を引っ張り出して、まとめてみようと思いついた。
バイク乗り暗黒時代の到来・・・。スポーツスターとの別れと初代ベスパの臨終
2006年6月の道路交通法の改正によって、あの緑色のおじさんたちが片っ端からバイクに駐車違反のシールを貼りまくり始めたのを、みなさんは覚えていらっしゃるだろうか。
実は僕は、彼らのおかげで一度免停に追い込まれた(怒)。もちろん、あの人たちもお仕事である。
しかし、そうは言ってもオートバイを停めておけるパーキングスペースが整備される前に、いちいち車と同じレベルのやり方で取り締まられたら、もう乗ること自体を諦めるしかない。まるでジェダイが暗黒卿ダース・シディアスの策略によって次々と斃されていく場面のように、バイク乗りがどんどん消え去っていく、本当に恐ろしい状況だった。
実際、日本のオートバイ販売台数が激減したのは、この道交法改正の悪影響によるところが大きい。仕事の脚として日常的に使っていた僕からすれば、例えばクライアントのオフィス近くにバイクで出かけようとしても、駐輪場が絶対にあり、かつ空いているという自信がなければバイクを使うことができなくなった。必然的に、通勤そのものに使うことも減る。
そして、2007-8年になると、新たなスタートアップのプロジェクトに取り組み始めて異常に仕事が忙しくなった僕は、土日にツーリングに行くことさえできなくなっていた。土日も乗れない、平日も使えない、となると、バイクを持っている意味がなくなる。
スポーツスターとベスパの2台持ちをしていた僕は、マンションの駐輪場にベスパを停め、しばらくスポーツスターを路上駐車していたのだが、結果、2度もスポーツスターの駐禁で切符を切られることになり、完全に追い込まれていく。
そこでやむなく、当時バイクを乗りたがっていた友人にベスパを預け、スポーツスターだけを手元におく、という手段にでた。
ところが、結局乗れば駐禁、という悪循環から逃れられず、僕は完全にバイクに乗ることに嫌気がさしていく。結果として、2010年に僕はスポーツスターを売り払った。どうせ乗らないから朽ちていくより、誰か乗れる人の手に渡ったほうがいいと思ったからだ。
ところが
駐輪場が空いたことで、預けていたベスパを友人から返してもらったその日に、そのベスパのエンジンがブローして、廃車になってしまうという、まさに弱り目に祟り目のような悪夢が僕を襲うのである・・・・。
バイク。降りるか乗り続けるか、最も悩んだ時
僕は28歳の時に車との接触事故で2週間入院するという憂き目にあっているのであるが、そのときでさえ、バイクを降りる、という選択はなかった。それなのに、緑のおじさんたちの仕事熱心さによって、初めてもうバイクはいいか、という弱気に襲われたのだった。
クルマもあったし、日常の脚にもならないし、もう・・・いいかな、と思いかけた。
しかし、結局僕は廃車となったPX200FL2と全く同じベスパを買った。
やはり、どんな車であってもバイクが全くない生活は耐えられないと思ったのだ。
そのころPX200系は生産中止になっており、中古でもとても高かったが、僕は同じ色、同じ仕様の一台を選んだ。1年友人に預けた結果、廃車になってしまったー断っておくが偶然であり、友人のせいではないーベスパに申し訳ないという気持ちもあったのだろう。
こうして、ベスパ一台、遠出またはスポーツするならクルマで、という生活に変化した僕は、バイク乗り、というにはやや不本意な時代に突入した。
もう、クルマ中心でいいかな。そう思う日々が始まった。
それが再び、僕のバイク熱を爆発させる出会いが、2014年の夏に訪れる。
それが今の愛車であるゼッツー(ZII)との劇的な邂逅だ。詳しくは、次回、この短期集合連載の最終回として、お届けしたい。