大人の男の玩具としてのカメラ
私は実はカメラが好きだ。
その中でもレンジファインダー(目で覗き込んで、自分でフォーカスを合わせるための光学距離計付きのカメラ)にこだわっており、必然的に愛用のカメラはライカ、ということになる。いまは最新のM(Type240)を使っており、それ以外のカメラは手放すか、クローゼットの奥にカメラケースに収まったまま放置してしまっている。
写真が好きだというと、女性との会話も弾む。車やモーターサイクルが、助手席やタンデムシートに美しい女性が収まるとことさらに絵になるように、カメラもまた、美しい被写体と対峙して初めて、バランスがパーフェクトになる。
私はMacを仕事の相棒にしているが、カメラはあくまで趣味である。だからたいていは、街中を歩きながら気ままに撮影するストリートスナップに興じているのだが、たまにデートをお願いした女性にモデルになってもらって、ポートレイトを撮ることもある。
(ちなみにこのコラムでよく引き合いに出すF香にも頼んだのだが、写真は嫌いと断られた・・)
いずれにしても、その程度の距離感で付き合っているライカなのだが、ちょうどロレンスで継続的に書くネタを探していた私は、どうせなら好きなライカ、あるいはカメラを軸として適当なコラムを続けてみようと思いついたのである。
第1回は、ライカの60周年記念モデルのEdition 60を紹介しつつ、軽い話題でスタートしてみよう。
私のコラムにしては珍しく、恋も女性も出てこない。
MacやiPhoneに通じるパッケージングへのこだわり
素材としての美しさもさることながら、やはり選ぶ服装や化粧、髪型などで女性の魅力はガラリと変わる。ライカを買ったことがある人なら共感してくれると思うが、ライカのパッケージは実に美しく、開封の儀はApple製品のそれと同じく、実にエキサイティングでワクワクとした瞬間を我々に与えてくれる。
オーナーとなる喜びを、全身で感じられる瞬間だ。
このEdition 60は、通常のM を自動車メーカーのアウディのクリエイティブチームがリデザインしたものらしい。
実にドイツ的で、軽妙さの全くない重厚かつ機械の機能美が表現されているではないか。
手がかかる女性になぜか惚れてしまう性と、よく似た偏愛傾向を引き出すカメラ
このライカ M Edition 60は、背面の液晶がないので、撮影した写真を、PCに取り込んでみなければその出来栄えがわからない。非常に不便なデジカメである。
しかし、その不自由さと制約が、このカメラを魅惑的なものにしている。わがままで奔放な女性に振り回されて、なおかつ惹かれてしまう、そういう男が多いのと同じで、この気難しいカメラを偏愛してしまうフォトグラファーもまた少なくないのである。
残念ながら私はこのEdition 60を手に入れることはないが、気分はよく分かる。物分かりがよい、性格のよい女性は大好きだが、友人にとどまってしまうことが多く、逆に気まぐれで猫のような女性に惚れ込んでしまうことが私の場合、よくあるからだ。
キヤノンやニコンのデジタル一眼レフを使い込んでみればわかるが、あれは実に高性能でどんなシーンでも言うことを聞いてくれる、優れものだ。機械としてみると、それが正しく、当たり前なのだが、あえて前時代の古臭いテクノロジーを磨き上げて、現代のニーズに合わせてきた頑固なライカに惚れるのはそういう気分に近いのだ。
ライカの何が、そこまで男を狂わせるのか。
そもそも(タイトルにも入っている)レンジファインダーの何がいいのか?
次回以降、ゆっくり酒を飲みながら書いてみたいと思う。不定期なので、他の題材を先に書くときも多いと思うので、じっくりゆったりお付き合いください。速写だけがカメラではない、一枚一枚大事いシャッターを押すのも、カメラの楽しみなのですから。
では、レンジファインダーから愛を込めて。