バート・マンローという男を知ってますか?
ニュージーランド南島(サウスアイランド)の最南端及び最西端に位置するサウスランド地区インヴァカーギル市出身。
自ら改造した愛機インディアン・スカウトを50年近くも駆り続け、ボンネヴィルにて史上最速の一人となった伝説のライダーである。大工、ニュージーランド郷土防衛隊、オートバイのセールスマン、メカニック等の職歴を持つ。
彼のインディアン・スカウトはマンロー・スペシャル(Munro Special)と呼ばれ、彼のラッキーナンバーである"35"がペイントされた流線形(ストリームライン)フルカウルを取り付け、最終的にはエンジンを950ccまでボアアップしている。ニュージーランドではヴェロセットMSSに乗って速度記録に挑戦していた時期もある。
1967年、ボンネビル・ソルトフラッツにて自ら改造したインディアンで1000cc以下のオートバイ陸上速度記録を樹立した。記録は183.586mph。
映画『世界最速のインディアン』のモデルとなった人物
このマシンでスピードに挑む時は、5分が一生に勝る。 一生よりも充実した5分間だ。
そう言って、死ぬまで速さを求め続けた伝説のライダー。1920年代製インディアンの発売当初のスペックとしての最高速度は時速80km程度であったが、それを彼は彼の改造によって、時速320kmまで伸ばすという奇跡を起こした。
彼の施した改造をごく簡単にまとめると
・エンジンは部品の一部を残して隅から隅まで改造 自分で金属を溶かして作った
・普通のレース用タイヤをヤスリで丸坊主にして、高速型タイヤを作った(彼曰く市販品より長持ちしたとか)
・オリジナルの流線型ボディー。公園の金魚を参考にしたらしい
そんな、死ぬまで世界最速を夢見て挑戦し続けた男、バート・マンローの、自身が持つ世界最速記録が没後36年目にして、塗り替えられたらしい。記録を塗り替えたのはバート・マンロー!!!
あれ??没後36年という事は、本人亡くなってるはず・・・・・
数ヶ月前に息子のジョンが1967年の記録の証明書を見たところ、マンローの2回の走行の平均タイムが間違っていることに気が付いたそうだ。そこでジョンはAMA(American Motorcycle Association)に記録を改めるよう申告。その当時は電卓がまだ使用されていなかったため、AMAが単純に計算を間違えたということで、記録が更新されるに至ったという。
電卓持ってなかったから、計算間違っちゃった(*ノωノ)
結局世界最速記録を出してから亡くなったから、、、いいんだけどさぁ、、、、きっと、 顔にしわはあっても心はまだ18才 の少年は、死ぬまで自分の最速記録を超える夢を見続けてたと思うんだよね。何だかちょっと切ない事実なのでした。だってだって、彼自身が言ってたもん! 「夢のない人間は野菜と同じ!!」 え??どういう意味だろう(笑)