ダートトラック(フラットトラック)は、アメリカのモータースポーツの「国技」と呼べる競技です。平坦なダート路面のコースを、反時計回りにグルグル高速で周回するこのレースは、豪快かつ緻密なスライド走法の応酬を楽しむことができます。
1970年代半ばから1990年代にかけての時代、F.スペンサー、E.ローソン、K.ロバーツ、P.ヘネン、R.マモラ、M.ボールドウィンなどのアメリカ人ライダーが世界ロードレースGP500ccクラス(現モトGP)で大活躍しましたが、高出力車のスライド走法をダートトラックで習熟している点が、彼らの強さの秘密のひとつとしてクローズアップされたものです。
キング・ケニーの秘密兵器としてデビュー
ここに紹介するヤマハTZ750ダートトラッカーは、1975年のインディ・マイルで勝利した車両です。アメリカ人として初めて世界ロードレースGP500ccクラス王者となった"キング"ことケニー・ロバーツは、ヤマハXS/TX系4ストロークバーチカルツインのダートトラッカーに乗り、1973年と1974年のAMAグランドナショナルチャンピオンに輝いています。
3連覇がかかる1975年シーズン、ケニーとヤマハのコンビネーションにストップをかけるため、ダートトラック界の盟主として長年君臨してきたハーレーダビッドソンは、XR750の性能向上に注力するとともに強力なライダー編成のワークスチームを組織しました。その結果、ケニーの卓越したライディング技術を持ってしても、従来の650cc改750ccでは対抗するのがキツい状況になったのです。
ハーレーファクトリーチームに対抗すべく、ヤマハが産み出したのがTZ750ダートトラッカーでした。1970年代から1980年代初頭までフォーミュラ750クラスで大活躍した市販レーサーTZ750のエンジンを、ダートトラック専用フレームに搭載。2ストローク4気筒・6速のパワーユニットは、125馬力の最高出力を発生。それまでのケニーの愛機であるXS/TX系4ストロークツインよりも、約50馬力もハイパワーなモンスターマシンです。
当時の最大排気量クラスのロードレーサー用エンジンゆえ、パワーではXR750を圧倒したTZ750ダートトラッカーは、ストレートエンドで240km/h以上!という驚異のスピードを披露しました。しかし、その強心臓ぶりからの弱点も少なくはありませんでした。ホイールスピン量が過大すぎてグリップ感が把握しづらい、タイヤが保たない・・・などなど、それら問題を抱えつつもケニーはインディ・マイルの予選で6位のポジションを獲得。25周で競われる決勝に駒を進めました。
短命に終わったTZ750ダートトラッカー
暴れまくるTZ750ダートトラッカーをなんとかコントロールし、先行するハーレー軍団に追いすがるケニー・・・。迎えた最終ラップの最終コーナー、何とか2位には食い込めるか・・・と考えながらケニーは走っていましたが、ゴールライン直前でTZ750ダートトラッカーはライバルたちを捉え、劇的な勝利を達成することに成功したのです。こちらは画像が荒いですが、その時の貴重な映像です。
結局、1975年のAMAグランドナショナルチャンピオンシップはゲーリー・スコットが獲得し、ケニーは2位に甘んじることになりました。TZ750ダートトラッカーのインプレッションとして、ケニーは、「こんな恐ろしいモノに乗ることに見合った報酬はもらっていない」というコメントを残していますが、ケニーがビビるくらいTZ750ダートトラッカーはスゴかったのですね・・・。その後の発展が期待されたTZ750ダートトラッカーですが、残念ながらこの年の終わり、AMAは新しい安全に関するルール・・・という事実上のTZ750のようなマシンを締め出す方針を打ち出したため、TZ750ダートトラッカーのその後の活躍の可能性は永遠に封印されることになったのです。
一瞬の輝きであったTZ750ダートトラッカーの栄光ですが、その後も何年にわたりケニーとこのマシンの活躍はダートトラック界の語り草として、受け継がれて行くことになりました。2009年には、34年前のドラマを再現する試みがアトラクションとして行われ、ケニーとTZ750ダートトラッカーの走りに多くの人々が熱い視線を注ぎました。この時の模様をおさめたこちらのビデオでは、当時の関係者であるケル・キャラザース、そして主役たるケニーの証言や、ケニーとTZ750ダートトラッカーの勇姿に熱狂するバレンティーノ・ロッシの姿を見ることができます。ぜひ、その伝説をこのビデオでご覧になってください。