このあいだ築地のお寿司屋さんにふらりと行ったんです。
その寿司屋の大将が、ぼくのメットを見て「何乗ってるの?」と。ゼファーですと答えると、その大将が、にっこり笑ってこう言ったんです。
「オトコカワサキだよな!」
ライムグリーンのローソンレプリカ
俺も若い頃はZ1000R乗ってたんだよ、と大将。
そう、ローソンレプリカに乗っていたとおっしゃるわけです。
まあ、それ以上の会話はなかったんですが、とにかくバイク乗り、しかもカワサキ乗りはこうしてコミュニケーションをとるんですよ。特に古いカワサキ、空冷Z系に乗ったことがある大人のバイク乗りにとって、オトコカワサキというマジックワードはいつまでたっても魔法の合言葉として、互いに口にした瞬間に、それは「俺たち、マブダチ(親友ってことです)」と言っているに近い、一体感を作り出します。
大排気量スポーツモデルの主な市場だった北米では、世界GPよりも市販車ベースのレーサーで争うスーパーバイクレースが人気で、世界でもトップクラスのライダーがしのぎを削っていた。そのスーパーバイクレースで81年にチャンピオンに輝いたのが、エディ・ローソンとカワサキワークスのZ1000S。その勝利を記念して造られたモデルがZ1000Rである。Z1000Sと同様のライムグリーンのカラーを身にまとい、日本では「ローソンレプリカ」と呼ばれ人気を博した。ローソンのZ1000Sをイメージし、メガホンタイプのカーカー社製集合マフラー、専用の段付きシートやリザーバータンク付きのリアショックを奢ったハイスペックモデル。
カワサキのように硬派か軟派かはおいて、こういうブランドイメージを持てたメーカーは幸せですね。
ところで、そのローソンレプリカなんですが、エディ・ローソンを知らない読者も多いことでしょう。スーパーバイクやWGP(現在のMotoGP)などで活躍した名レーサーです。
その彼が操ったスーパーバイクレーサーZ1000Sを模したカラーリングをまとって発売されたのがZ1000R。ローソンレプリカ、という言い方は日本だけのようです。
エディ・レイ・ローソン(Eddie Ray Lawson 、1958年3月11日 - )はアメリカ人のロードレーサーである。WGP500ccクラスにおいて、1984年、1986年、1988年、1989年の4度に渡りタイトルを獲得し、異なる3メーカーでの31勝を挙げた。その機械のように正確なマシンコントロールと着実なレース運びから、「ステディ・エディ」の異名を取った。
1978年にはAMAエキスパート・ライセンスを取得。
1980年にロードレースに転向し、カワサキと契約。AMAスーパーバイクおよびAMA250ccGPへ参戦。 米国国内選手権の成績に対する報酬として、1981年のドイツグランプリでGP250ccクラスにデビューし、続くネイションズグランプリ(イタリア)、フランスグランプリの計3戦にカワサキからワイルドカードで出場した。また、1981年度にスーパーバイク王者になった際、記念としてカワサキからは「ローソンレプリカ」ことZ1000Rが発売されている。
オトコカワサキは健在?
このローソンレプリカ(略してローレプ)とも言われたマシンは、その後ZRXという水冷4気筒エンジンを積んだクローンマシンを生み、さらに現在でもZRX1200DAEGとして生産が続けられています。
その意味では、Z1/Z2がゼファーシリーズという大ヒットモデルを生み、W1がW800として生き残っていることと同じように、カワサキにおける、貴重な遺産というか資産になっているブランドです。
カワサキ・ZRX(ゼットアールエックス)とは、川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニーが製造するオートバイ、およびそのシリーズ車種である。
1990年代後半から2000年代にかけて排気量別にラインナップされていたが、2008年の排出ガス規制強化以後に生産されているのはZRX1200 DAEGのみである。単純表記で「ZRX」とされる場合には、厳密にはシリーズとして最初に登場した400ccクラスのビキニカウルつきモデルの車種名のみを指す。
というか、Wシリーズも昔ながらの姿で生き残り、Ninjaもマッハも真の最速のDNAを引き継ぐ形で復活。ローレプも、カラーリングこそ消えましたがZRXとしてその姿を偲ぶことができる。
その意味では、Z本来の姿、Z1/Z2からゼファーに繋がった系譜はいまのところ、切れている気がします。名前こそZは継承されていて、スーパーネイキッドというカテゴリーを作ってはいますが、Wやローレプの生き残り方とはやはり違っていて。
だから最近ではあまりオトコカワサキ、という挨拶は、現在のカワサキ乗りの間でも死語になりつつあってりして、と寂しく感じたりもするのです。