炎上した東京いい店やられる店コラム
先月今人気急上昇中のはあちゅう女史のあるコラムが炎上して話題になった。
それは20代女子は年上男性とのデートでご飯偏差値を高めるべきというもので,「今どきそんなバブルみたいな発想おかしい」「ご飯偏差値の高い女子なんか相手にしたくない」などTwitter上ではかなりの反論が出ていた。
しかし退廃主義的にははあちゅう女史の考え方がきわめて正しい。20代女子は全てが勉強で許される極めてミラクルな時期だ。初対面の20代男子が勉強させて下さいと言っても相手にしてくれるエグゼクティブはほとんどいないが,若くてそこそこ魅力的な女子であれば「色々教えて下さい!」という呪文を唱えれば,上場企業の社長クラスでも食事に連れて行ってくれる可能性は十分にあるのだ。そんなミラクルな時期を活かさないことは完全な機会損失と言える。
ところが30代,40代となると美人な女子でも「色々教えて下さい!」とは言えなくなってくる。むしろ自分がお気に入りのレストランに紳士を連れて行くことで,男性に喜ばれるくらいの器量は当然求められてくるのだ。年とともにご飯偏差値はやはり高い方がよい。若さとピチピチを失っても知性と官能さがあれば十分魅力的な淑女になれる。むしろ20代に何も努力せず,普通の恋愛経験しかしなかった女子が魅力的な淑女になれることの方が奇跡だろう。秘密の体験多い女子の方が魅力的なことは以前のコラムでも述べた通りだ。
ご飯偏差値を高めることは前戯のテクニックを磨くこと
ただここで問題がある。では男性諸君はどうやってご飯偏差値を高めるかということである。今回の炎上のコメントでも,ようするに自分のご飯偏差値が低いことから,そんな女子は敬遠したいという文脈のものは多かった。これまでこの連載でも何度か指摘しているが,食事はSEXの前戯であり,ご飯偏差値を高めるつもりが無いということは「自分本位のSEXだけできれば十分です。魅力的な女性を喜ばせるSEXのために努力しません!」と宣言しているようなものだ。ご飯偏差値を高めるということは女性の秘められた官能を解き放つための努力でもあり,レストランや飲み屋の空間やサービスや味に多大な好奇心を持つことはエロスの好奇心とシンクロするものでもある。
そして女性を喜ばせるのはお金でも無い。ご飯偏差値はここぞの時のジュエルロブションも,語りたい時のおでん屋も,初夏のテラス席も女子の非日常スイッチを入れてあげる演出ができることの方が大事なのであり,食事の値段とは比例はしない。むしろ居心地の悪い高級店は官能スイッチを妨げることさえある。三つ星行きまくっていてRettyで書きまくっている女性なら銀座で待ちあわせて中途半端な銀座の寿司屋に行くよりも「月曜日だから月島だな」とタクシーで月島まで連れて行って,もんじゃ焼で鉄壁の土手作りテクニックを見せた後にスペインクラブで月曜限定のフラメンコを見せるぐらいのコストパフォーマンスが良いけどなるほどねと思わせるくらいの男子を目指すべきだ。フラメンコは情熱のスイッチを入れてくれるし,スペインクラブがある月島の運河沿いの倉庫街の月曜日の夜の暗さが銀座の繁華街よりも格段に唇を奪う可能性が高いこともあわせて覚えていて欲しい(銀座の最大の弱点は雑居ビルのエレベータの中以外にキスに持ち込めるシチュエーションが作りにくいことだ)
退廃主義はいい男といい女をつくる
はあちゅう女史がコラムの最後で述べている文章が素敵だ。魅力的な女性のレベルが高ければ高いほど,男子は努力をする。そうして鍛えられた男子にまた若い女性が育てられる。この循環こそが社会にいい男といい女を増やす上で大事なアプローチだ。TOKYOは世界最高レベルの美食の都だ。そんな街に住んでいる紳士淑女はそれだけで退廃主義者になる資格を持っているとも言える。さあ今宵もエスコートしようではないか。
男子が付き合いたいような美人さんには
やっぱりご飯偏差値が高い人が多く、
彼女たちをエスコートしたいという気持ちが
仕事のモチベーションになる人もいて、
そのおかげで、ご飯偏差値の高い女子が産まれ、
その子たちを落とそうと、また男性が頑張る…。
そんな生態系の循環に気付き、
「ご飯って世界を回しているんだなー」と思う今日この頃。
いいレストランは、間違いなく
いい男といい女をつくっています。