ミステリアスなピエロに魅かれる
みなさんはピエロと聞いて何を思い出しますか?
道化師として、人々を笑わせてくれる陽気な一面でしょうか?それとも皆に笑われることで嘆く姿でしょうか。
私はピエロのミステリアスなムードに常に魅かれていました。楽しげに見えるその姿と裏腹に、なぜか寂しげな空気を湛えているミステリアスな様子に、強く魅かれるのです。
人間はみな、本音と建前を使い分けて生きています。前夜に悲しいことがあっても、翌朝のオフィスや学校では、曇った表情を見せずに健気に働いているものです。その意味で、私たち自身がピエロのようなものかもしれない、からかもしれません。
実際、ピエロの厚く白塗りされた顔は、まるで仮面のようで、人間味を感じさせないものです。一本線のように描かれた、毛流感の無い細い眉。白塗りで小さく見える目は黒く囲まれて、視線の方向を曖昧にしています。
そして、さらに印象的なのが、右目の下に描かれた大粒の涙マークでしょう。楽しげに、滑稽な動きで人々を楽しませるピエロですが、見ている者をなぜかふと不安な気持ちにさせるのは、その涙のせいかもしれません。
道化を演じる姿の胸の奥に、実は人知れぬ哀しさを湛えているとしたら?ピエロのそんな胸の内を微かに透けてみせるサイン、それがあの涙なのかもしれません。
だとしたら、私たちも実は、目に見えない心の動きを透けさせるサインを、どこかで発しているのかもしれない、そう思ったりします。
ピエロ役のスタイルを確立した古いフランス映画『天井桟敷の人々』
最近私は、ピエロたちが右目の下に大粒の涙マークを描くようになるきっかけとなった、古典的な名画を鑑賞しました。現在まで演じ続けられる「ピエロ」のトーン&マナーを確立したとされている、フランス映画の名作『天井桟敷の人々』です。
本作の主人公は、ピエロを演じるパントマイム役者バチストです。作中、彼は才能が無いと周囲に罵倒され続けています。
父が座長を務める劇場でさえも、彼は舞台に上がることすら許されません。それどころか、劇場の前で客を呼び込むための醜いピエロを押し付けられる始末です。
そんな哀しいバチストと恋に落ちるのは、ヒロインのガランス。彼女は白塗りをしたピエロ役を懸命に演じるバチストの純粋さに引き込まれていきます。表情はわからなくても、白塗りの化粧から覗く綺麗な瞳に恋をするのです。
そんな矢先、ガランスは無実の罪を問われる事件に巻き込まれてしまうのですが、バチストは彼女の潔白を証明するために、渾身のパントマイムを演じて、見事に彼女の無実を勝ち取ることに成功してみせます。
ガランスとの心の触れ合いを通じ、バチストは客寄せの無様なピエロから、徐々に役者として実力を認められ、劇場に欠かせない存在へと成長していきます。同時に、二人の恋は真の愛へと深まりを見せていきます。
しかし、このままハッピーエンドが待っているのかと思いきや、ラストは意外なほど切ない結末が待っています。・・・・いえ、その結末は私が伝えるべきではありません。ぜひ本編をご覧いただきたいと思います。
誰もがピエロを演じている。そして涙を流している。
ピエロとはまさしく、そんな人生の悲哀を演じる役、なのかもしれません。
いくら成功を納めたとしても、誰かを一途に愛す気持ちがあったとしても、その純粋でまっすぐな想いだからこそ生まれてしまう、報われない苦しみもあります。
「天井桟敷の人々」でも、主人公バチストが公演中に思わず涙を流してしまうシーンがあるのですが、それはそれはとても印象的です。
身を犠牲にして道化を演じることで人を笑わせる。表情を殺して、動作だけで感情を伝える。それはとても難しいことなのですが、その難しさを意外なほどに見ている人は評価していないものです。だからピエロの胸の奥には、認められていない者の悲哀があるのかもしれません。そして、そんな想いを伝えるのが右目の下の涙なのだと思います。
私は、ピエロの涙が、彼らが隠している心の奥底の悲哀を覗かせるサインであると述べました。
ピエロだけでなく、私たち人間はみな、ピエロの白塗りの仮面のように、知らぬ間に自分の深層心理を隠すため、見えない仮面を被って生きているのではないでしょうか。自覚なくとも、無意識に自らの本音を隠して明るく楽しげな表情で、周囲に合わせているのではないでしょうか。
そんな仮面を脱いで素直に強く生きろ、と言うつもりはありません。私にもみなさんにもそんなことはなかなかできないでしょうから。
そうではなくて、私は、ピエロが零す一筋の涙のように、人々が微かにみせる心の奥の哀しみや辛さを示すサインに、気づいてあげる優しさを持ちたい、と思いました。人を見かけだけで判断したり、そのうわべの表情だけで安心したりするのではなく、その人が発しているサインに気づいてあげる。必死に辛い心を隠して懸命にピエロを演じていた、バチストの胸の内を理解して、愛してあげたガランスのように。
そして、私のサインに気づき、見抜いてくれる優しさと温かさを持つ相手に対して、感謝をもって接したい。友情や愛情、いずれかをもって謝意を伝えたい。
そんなふうに思うのです。
参考文献
・山田宏一『天井桟敷の人々』ワイズ出版、2000年
・ロジャー・プライス『フランスの歴史』河野肇訳、創土社、2008年
・アラン・ヴィラ『演劇の歴史』高橋信良訳、白水社、2008年