日本の男は、派手な女は嫌いなの?

パトリシアは私に、悪戯っぽい表情で私に問いかけた。
彼女は29歳、オーストラリア人である。性格はアグレッシブ。冬でも比較的露出が多めで、オーストラリアというよりもLAあたりの生まれのような感じがする。そのパトリシアだが、一緒に来日したボーイフレンドと別れて、いまは好奇心も手伝って、日本人の男と付き合ってみたいのだそうだ。

彼女は昔の言い方で言えば金髪碧眼、つまりブロンドで青い目をしている。165センチはないと思うが、わりとボリュームのある体つきをしている。顔立ちは悪くない。美人とまでいかないが、いわゆるファニーフェイスで、笑うと顔中にシワが寄るので愛嬌がある。

「誰か日本人と付き合ってみたいのよ」(あなた以外とね)と言外に断りを入れながらパトリシアは言う。「もっと地味目な(Simple & Plainな)スタイルが受けるのかしら」

いや、そんなこともない、と私は答えた。
日本人には二面性がある。ちょうど京都のように。

「京都のように??」パトリシアは首をかしげる。

金閣寺と銀閣寺にみる日本人の嗜好の二面性

私はちょうど年末に京都に旅行に行った。そこで思ったことがあったので、彼女に例を出して説明した。
「京都には金閣寺と銀閣寺というお寺があってね」GoldenTempleとSilver Templeと呼ばれているんだ、と私は言った。

画像: 金閣寺と銀閣寺にみる日本人の嗜好の二面性

金閣寺
金閣は文字通り金箔に覆われていて、遠目にはとてもゴージャスで、今見てもとても新しく見える。
一方で、銀閣は銀とは言われているものの、 銀箔が貼られているわけでもなく、とても地味な見た目だ。
(そしてどちらも思った以上に小さい・・・)

もともと金閣寺が先にあって、その対照的な建築物(同じ相国寺系列ということもあり)であった慈照寺を銀閣寺と呼ぶようになったのが江戸時代とのこと。逆に言えば、金閣に対して銀閣と呼びたい心情が当時の日本人にはあったのだ。

「それで?どういう二面性があるの?」とパトリシアは焦れた。

金閣寺を日本人は大好きなんだが、それは新しさと絢爛豪華さ、着飾ったりゴージャスに仕上げることの楽しさをよく知っているということなのだ。そして、自分たちもまた、同じように飾ることを楽しむ。アップトゥデートな最先端のプロダクトにも常に興味津々だ。

同時に、古びて枯れたようなもの、クラシックなもの、シンプルなものへの憧憬も強く持つ。きらびやかな金閣寺に対して質素な銀閣寺を同列に扱って尊ぶのはその現れである。言ってみれば、わび・さびの境地だ。

前者の志向は、日本をしてハイテクテクノロジーの象徴のような国に仕立てたし、後者の志向によって我々はいつまでも古き時代への郷愁を捨てず、独自のガラパゴス的な文化を生み出すきっかけとしている。金閣寺・銀閣寺だけではない。京都の大仏は豪華な黄金色だが、奈良の大仏は逆に地金が見えるがままになっている。

結論を言ってよ、と彼女は再び焦れた

つまり、わたしみたいな女も好きだし、奥ゆかしい日本人の女性も好きってことなのね、とパトリシアは言った。「なんの解決にもヒントにもならないけどw」

そんなことはない。

私は言った。「アドバイスをするならね、パット(彼女の愛称)の場合は、少しコンサバな格好をしてみたらいいと思うよ」でも、下着はいつも通りで。それがいい、と。

日本人の嗜好には二面性がある。どちらか一方がすごく好きという人もいるだろうが、実は大抵は両方好きである。両方を味わった上で、そのギャップを楽しんでいるのだ。

ワビ・サビの中にある、強烈な先進性。最先端のテクノロジーに潜む昔ながらの伝統的な技術。
そうしたギャップこそが、日本人の心を掴んでやまない。

だからパトリシア、まずは私と今夜一晩付き合ってみるのはどうかな?、と私は言った。私の中にもそうした二面性があり、それを知ることで日本人を知れるかもだよ、と。

「そうね」とパトリシアは答えた。「今日はご期待に添えない地味な下着だから、また今度にするわ」

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