活力を失った人類の中で唯一前進を止めない男たちが集う

キャプテンハーロック 予告編

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原作を読んだのは中学生のときだ。
種の起源を異とする、植物から進化した異星人マゾーンの侵略に怯えるだけの人類。いや、怯えるというよりも、侵略されようとしていることさえ認めようとしない。面倒に向き合う気力さえないからだ。
そんな活力を失った人類に嫌気がさして、宇宙海賊として生きていくことを決意した男たち、それがキャプテン・ハーロックと仲間たちだ。

ハーロックたちにとって、マゾーンに人類が滅ぼされようが地球が侵略されようが知ったことではない。知ったことではないはずだった。
しかし、ハーロックには人類を、地球を見捨てられない理由がある。それは人類を守るために非業の死を遂げた親友トチロー。
彼が人間を愛し、助けようとした以上、ハーロック自身もまた親友の遺志に殉じることしかできない。親友を想いを裏切ることはハーロックには死んでもできないからだ。

だからこそ、ハーロックと仲間たちは、トチローの知識と記憶を宿したコンピューターによって制御されている宇宙海賊船アルカディア号と共に、未知の大敵マゾーンとの孤独で報われない戦いへと向かうのだ。

原作と設定が違う映画・・・

原作では、マゾーンとの戦いの決着がつかないまま、そしてマゾーンの侵略の背景もわからないまま、未完で終わっている。
マゾーンも自分たちの惑星の衰亡に直面しており、地球に移住できなければ滅亡する。地球人とは種の起源が違うので共存は難しい。だからマゾーンの女王ラフレシアは、ハーロックたちの勇気や志に対して、(生命体として文化が違いすぎるから)理解はできないが敬意を抱きつつも、人類を滅ぼすことにためらいを持たない。
ハーロックたちもまた、自分たちとは違うとはいえ高度で精緻な文明を持つ知的生命体であるマゾーンも種の生存を賭けて戦っていることを理解し、同情を覚えるものの、徹底抗戦を心に誓う。

この「キャプテン・ハーロック」は、日本のSFコミックの最高傑作の一つであると僕は思う。

と、ここまで書いてきて、無意識的に、いや意識的に映画の話を避けてきたことに否が応にも気がつかざるを得ない。

映画では、マゾーンは出てこない。
ハーロックが戦うのは、人類だ。そしてハーロックは人類に絶望し、宇宙のすべてをリセットしようとしている。

その設定は・・・正直デタラメだ。そして、ハーロックを愛している人ならば、この映画を許せないだろう。クソ映画と笑えればそれでもいいが、それ以上の大罪をこの映画の脚本家と監督は犯してしまった・・・・。

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