イタリア公道レースの黄金期
個人の感想ではありますが、日本人とイタリア人って似ているなぁとよく思います。島国気質(イタリアは半島ですが)、英語が話せない、北と南で文化が大きく異なる、強烈なコネ社会、マザコンが多い、魚介類を食べる、グルメ文化、そしてモーターサイクル文化が発展しているなどなど・・・彼の国を訪問するたびに、共通点が多いなぁ・・・と思ったりします。あと第二次大戦の途中までは、同盟国でもありましたね(苦笑)。
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イタリアの公道レースといえば、「ミレミリア」(1,000マイルの意味)は同名の4輪イベントが日本でも開催されているので、それなりに日本でも知名度がありますね。一方で、かつてイタリアで行われていた2輪の公道レースのほうは、あまり知られていない印象があります。
2014年は2輪の公道レース、「モトジーロ・ディタリア」の100周年でした。記念すべき最初の年のレースは、英車のアリエルに乗るオレステ・マルヴィシが優勝しましたが、モロジーロ・ディタリアの黄金期は第二次大戦後に訪れており、もっぱらモトジーロ黄金期の話題といえば1953〜1957年の間の話になります。
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途中でファシストを追い出したとはいえ、第二次世界大戦の大半を戦場として過ごさねばならなかったイタリアは、激しい空爆で工業地帯に大きなダメージを負いました。また戦後に航空機製造を禁じられたため、多くのメーカーや技術者が戦後の平和産業に転換する際、モーターサイクルやスクーターという「戦後復興の足」作りに身を投じることになります。この辺の話も、日本に似ているところです。
そんな復興期のイタリアでモトジーロ・ディタリアは、国民の人気イベントとして急速に注目を高めました。MVアグスタ、ドゥカティ、ラベルダ、モトム、モンディアル、ベネリ、ルミ、チェカートなどのメーカーは、このレースの人気が技術開発の場、そして宣伝の場となると目論み、熱心にファクトリー活動を展開しました。
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この辺りも日本と似ているのですが、ジレラやモトグッチなど戦前からの古豪は500ccクラス以上の大排気量車を用意していましたが(日本は陸王など)、ほとんどの戦後のイタリアン新興メーカーは小排気量車開発にフォーカスしていました(日本ではホンダ、ヤマハ、スズキなど)。
戦後のモトジーロ・ディタリアはその時代背景を受けて、75cc、100cc、125cc、175ccというクラス分けを採用しています。かつては小排気量偏重だったところも、日本とイタリアの2輪文化の共通点と言えるでしょう。
パレードとして人気の、今日のモトジーロ
1957年の4輪ミレミリアで、フェラーリの乗員2名と観客10名が死亡するという大惨事が発生したことにより、イタリア政府は公道レースを禁止することになります。
その結果モトジーロ・ディタリアもミラノ-タラントも、強制的にその歴史に終止符を打つことになりました。それが、イタリア公道レース黄金期の終わりでした。なお4輪ミレミリアや2輪ミラノ-タラント同様、今日モトジーロ・ディタリアは公道パレードランとして人々の楽しみとして存続しています。
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こちらの動画は1955年のモトジーロ・ディタリアで、モト・モリーニを駆り175ccクラスで勝利したエミリオ・メンドーニのインタビューを交えたムービーです。約9分半と少々長いですが、空撮やカメラカーの映像を交えた市街地・郊外でのレースシーン撮影は、当時の熱狂ぶりを如実に伝え、見る者を飽きさせません。
愛らしく、美しく、そして速いイタリアンモーターサイクルたちが躍動する姿を、ぜひご覧になってください。