人間は、特に男は、年齢を重ねることに、だんだん頑固になって、なんでも相手を自分好みに変えたくなってくるものだ。説教がましいし、新しいトレンドがどうのこうのではなく、自分の好みにこだわりすぎる。
若い時は逆にトレンドを気にしすぎて、自分を見失いがちだったりもする。周りに合わせようとしすぎて、個性を失ってしまいがちだが、反対に経験を重ねた男の欠点は、個性が強すぎて相手を自分に合わせようとしてしまうことだ。


バイク編歴には偏り

話は違うが、僕のバイク遍歴は、かなり偏りがある。偏歴、と言っていいw。

基本的にはカワサキ好き、空冷好き、ネイキッド好きなのだが、自分のそうした好みをちゃんと理解するまでに、意外に時間がかかっている。


初めてのバイクはSUZUKI ガンマ50、つまり原付だった。原付バイクといえば最近はスクーターばかりで、スポーツ性よりユーティリティ、という印象だろうけれど、ガンマ50は本格的なスポーツバイクだった。

そのあと結構ブランクがあって、カワサキエリミネーター250という、ちょっとドラッグレーサー風味のバイクを経て、ゼファー400(この頃はチューンドバイクにはまっていて、このゼファーはDr.Sudaという有名チューナーのSTAGE-IIIという、そこそこなレベルのカスタムを施していた)、ZZ-R1100、ゼファー1100、ゼファー750とカワサキを乗り継いだ。
一度はビッグスクーターもいいなと思い、スズキのスカイウェイブ400も乗ったが(SP忠男のマフラーに、Dr.Sudaでオールペイント)、すぐに飽き足らなくなってベスパPX200FL2とハーレーのスポーツスターXL1200(写真)に乗り換えた。

その後クルマのほうに気をとられるようになって、スポスタは手放し、ベスパだけ(しかも途中で一台廃車にして、同じモデルをまた買った)になったのだが、ZIIとの劇的な出会いがあって2014年9月からまたカワサキ乗りに戻った。
台数でいうと、今の時代珍しく?空冷バイクが多い。

画像: 足りないものは自分で補う。自分なりの古いバイクとの付き合い方。

触れてみなければわからないバイクの進化

ZIIは1970年代のバイクだ。
当時としては最先端の性能も、いまとなっては凡庸だし、愚鈍だ。

少しの間大型バイクから離れていたわけだが、その間にバイクは大きく進化していた。バイク市場は最盛期から比べるとだいぶ縮小していたし、はたから見ているだけだとバイクの進化(クルマの進化もそうだろうが)はなかなかにわからない。クルマと違ってテレビCMやメディアで頻繁に見ることもないから、さらに知る機会がない。

例えば、クルマならハイブリッドエンジンやEV(電気自動車)、自動ブレーキ、カーナビなど、わかりやすい進化の印が身の回りにある。

しかしながら、現代のバイクは着実に進化していて、ABS(アンチロックブレーキシステム)やETCは標準でついているバイクも多いし、外付けならばナビだってある。公道ならばクルマ以上にタイヤの性能に走りを左右されるのがバイクだが、今時のスーパーバイクの極太のタイヤは、路面をしっかり掴んで離さない。よく止まるし、よく走るし、よく曲がる。昔と比べれば非常に安全で快適な乗り物になってきているのだ。


僕がチューニングを楽しんだ時代と違って、今ではエンジンに手をいれるようなチューンをする若者は激減しているらしい。なぜなら今のバイクの性能は、わざわざ手を入れる必要などなく、ひと昔前のレース用バイクを超えるレベルであるからだ。だから、カスタムするにしても、外見をいじって、自分好みに変える、ファッション的なものが必然的に多くなる。カフェレーサーブームなどは、そうした現れだろう。

足りない、を嘆かず、補う、と楽しむ

こうしてバイクメディアに携わり、多くの情報に再度触れるようになると、最新バイクの凄さが改めて分かってくる。そして、自分のバイクの古臭さというか、改めてクラシックバイクなのだということが分かる。

乗りたてのときには、あまりのブレーキの効かなさや車体の緩さに驚いた。今となっては鈍重なエンジンや、反応が一呼吸遅れるだるい加速性能については、予想の範囲内だったし、使いきれるパワーはかえって公道での楽しみにつながると思えたのだが、制動力の弱さはリスキーに思えた。
だから、手に入れた当初は、すぐにでも最新のシステム(ダブルディスクブレーキとか、軽量ホイール、ラジアルタイヤ化など)に変えようと思ったものだ。

しかし、乗っているうちに、慣れてきてしまって、これはこれでいいかなと思うようになってきた(笑)。人間とはなんとも便利なものだ。

足りない機能は自分の腕、というか、乗り方で補えばいい。そう思えるようになってきたのだ。

ブレーキが効かなければ、より長く車間距離を取ったり、急発進をせずにすれば、追突も出合頭もない。また、コーナリングにしても今のバイクのような乗り方をしていれば危険は増すが、旧車ならではの乗り方を学べば問題は無い。
つまり、相手(バイク)に合わせて付き合い方を変えるべきだし、わからないことは勉強すればいいのだ。

相手が足りないところは自分が合わせる。自分が補うことで、バランスを取っていけばいい。

冒頭で述べたように、年齢を重ねると、自分が足りないとか、自分が合わせようと思うことがむずかしくなる。僕にしてもそういうきらいがないとは言えない。
ZIIというバイクに乗り始めたことで、僕は相手(ZII)を今の仕様に合わせて成長させようとするのではなく、自分が相手(ZII)に合った乗り方を勉強することで、互いの時計を合わせて、幸せな時間を作ろうと考えるようになった。その結果、僕にはいま、至福の時間を味わうことができるようになりつつある。より自分が合わせていくことで相手の良さを引き出せることに気づいたのだ。

同時に、ZIIは、これがバイクのことだけでなく、いろいろなことに通じるアイデアであるとも気づかせてくれている。
相手に求めるだけでなく、自分にも正しく求めること。それを僕たちに強いるような相手と出会うことは、またとない勉強のチャンス、自分磨きのチャンスなのだと、40年前のバイクが教えてくれているのである。

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