戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は現在、日本人ライダーとして最後のGPチャンピオンでもある2009年GP250ccクラス王者、青山博一です!

才能を評価されKTMファクトリーにも所属!

1981年生まれの青山は5歳からポケバイに乗り始め、1998年から全日本選手権125ccクラスでロードレースデビューを果たしています。2003年には2000年以来参戦している250ccクラスで安定した成績をおさめ、見事初タイトルを獲得しました。

2003年、250ccクラスで全日本王者となった青山博一。

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全日本王者になったことにより、青山は「Honda Racing スカラーシップ」の第1期生として、世界GPへの切符を手にしました。そしてアルベルト・プーチ率いるテレフォニカ・モビスター・ホンダチームからダニ・ペドロサのチームメイトとして、GP250ccクラスのフル参戦を開始します。

フル参戦2年目の2005年には、待望のGP初優勝を日本GP(ツインリンクもてぎ)で達成! その実力が認められ、スカラーシップ終了後の2006年はKTMのファクトリーライダーに招き入れられることになりました。

2006〜2008年まで青山はKTMのファクトリーライダーとしてGP250ccクラスで活躍。その間4勝を記録しています。

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最後の250ccクラス王者として、歴史にその名を残す

2008年限りで250ccクラスに代わり4ストロークのホンダCBR600RRエンジンワンメイクのMoto2クラスに移行することが決まっていたのですが、KTMは撤退を発表することを遅くしたこともあり、青山は2009年のシート探しに苦労を強いられることになりました。

2008年度末になんとか作り上げた2009年の体制は、250ccクラスでスコット・レーシングチームから参戦というもの。それはスペアマシンもない、1台体制という厳しい条件でのGP残留でした。

2009年、スペイン・ヘレスでのシーズン前の公式テスト。青山にとっては、4年ぶりとなるホンダへの復帰でした。

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ワークスマシンとはいえ、既に開発終了しているホンダRS250RWでの参戦・・・しかし青山は第3戦スペインGPで2年振りの優勝を記録! その後も第7戦オランダ、第9戦イギリス、第15戦マレーシアで優勝し、ランキング2位のマルコ・シモンチェリに21点差のランキングリーダーとして、最終戦となる第17戦バレンシアGPを迎えることになりました。そしてGP250ccクラス最後となるレースで、青山は7位でゴール。悲願の世界王者に輝きました!

日章旗を手に、ウィニングランを披露する青山博一。マーシャルたちからの祝福を受けます。

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青山は2010年から最高峰のMotoGPクラスに参戦。2012年はSBK(世界スーパーバイク選手権)に転向しますが、2013〜2014年は再びMotoGPを舞台にフル参戦しました。その後もスポット参戦で2016年2回、2017年に1回MotoGPに参戦した青山ですが、2018年からはホンダ・チーム・アジアの監督に就任し、後進の指導に励んでいます。

2019年シーズンのMotoGP開幕戦カタールGPでは、Moto3クラス決勝でホンダ・チーム・アジア所属の鳥羽海渡がMoto3では初となる日本人ライダー優勝を達成! ホンダライダーとしてGPで通算5勝を記録した青山ですが、今後の指導者としてのGPにおける活躍を期待しましょう!