信仰とは何かを問う、遠藤周作原作の小説をマーティン・スコセッシ監督で映画化。
17世紀の日本に布教に来たイエズス会の司祭たちは、幕府の激しいキリシタン弾圧を受けながらも信仰を貫こうとするが、その行為によって多くの人民が苦しんでいることを知らされ、動揺するー。

17世紀、島原の乱後 激しさを増す切支丹弾圧下の長崎が舞台

17世紀、カトリック布教のために世界中に宣教師を送ったイエズス会。そのイエズス会でももっとも高名な神学者であり熱心な宣教師の一人、フェレイラ神父。そのフェレイラ神父が布教先の長崎で棄教し、いまや逆に切支丹(キリスト教徒)弾圧の側に回っているという知らせを聞いた、フェレイラの弟子ロドリゴとガルペ。
二人は事の真偽を確かめ、フェレイラを連れ戻すために日本に向かうが、彼らを待っていたのは想像を絶するほど厳しい迫害だった。
彼らはほどなく長崎奉行所に捕縛され、棄教を迫る容赦ない責め苦に遭う。果たして彼らは信仰を守りきれるのか。そして、フェレイラが信仰を捨てた真の理由を知ることはできるのか・・・・。

棄教し転向者となったフェレイラ神父

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つい裏読みをしてしまう配役の妙

本筋とは違うが、主人公ロドリゴを演じるのは「アメイジング・スパイダーマン」シリーズでスパイダーマンを演じたアンドリュー・ガーフィールドなのだが、その師であり、布教先の日本で衝撃の棄教をしてしまう元司祭フェレイラを演じているのが「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」でジェダイマスターの一人クワイ=ガン・ジンに扮したリーアム・ニーソンで、さらにその弟子でロドリゴの僚友ガルペを演じるのが、新スター・ウォーズシリーズでカイロ・レン(ハン・ソロとレイア姫の息子で、暗黒卿ダース・ベイダーを信奉者しダークサイドに生きる狂信者)を演じたアダム・ドライバーであるのも面白い。

アンドリュー・ガーフィールドは「ソーシャル・ネットワーク」で、マーク・ザッカーバークとFacebookと袂を別つことになるエドゥアルドを演じているが、本作においても神をとるか、現世の人命を救うことを優先するかという、究極の選択を迫られることになる。

神はなぜ沈黙を守るのか?それは神がいないという証拠なのではないか?という疑念に苛まれる恐ろしさ

原作である「沈黙」は日本人の手によるキリスト教文学の最高峰とされる作品だ。隠れ切支丹たちや、イエズス会から派遣された司祭たちも、キリスト教徒でない、もしくは信仰を捨てる証拠として、イエス・キリストが描かれた図版を踏むよう強制される。いわゆる踏み絵だ。

劇中、ロドリゴとガルペたちを匿う村人たちは、切支丹であることを疑われる。踏み絵を拒めば村全体に危機が及ぶ。それを理解するロドリゴは涙ながらに「踏んでいい」と赦すが、ガルペは断固として「ダメだ」と言う。結局は疑われた村人たちは無残に殺されていく。

そのどちらのスタンスが正しい回答なのかを答えることは誰にもできないだろう。21世紀の今日にあっても信仰のために死を選んだり、他者の命を奪う行為に及ぶ者もいる。

信仰に生きる者でない限り、本作が意味するところを本当に理解することは難しい。
ただ、絶望的な環境の中で、沈黙を続けるだけで助けの手を差し伸べようとしない神への疑念を募らせていくロドリコたちの姿を切なく見続けるのみである。

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映画『沈黙-サイレンス-』本予告

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