8月3日、12+1度も世界ロードレースGPでチャンピオンに輝いたスペイン人ライダーのアンヘル・ニエトが亡くなりました・・・。

小排気量クラスで1964〜1986年の間活躍

1947年、スペインに生まれたニエトは、かつて世界ロードレースGPにあった50cc、80cc、125ccという小排気量クラスのスペシャリストとして大活躍したライダーでした。

1964年から1986年という長いキャリアの中で、ニエトはデルビ、クライドラー、ブルタコ、ミナレリ、そしてガレリと、様々なブランドにタイトルをもたらしています。タイトルの獲得数はイタリアのヒーロー、ジャコモ・アゴスチーニ(15度)に次ぐ12+1度・・・13度と書かないのは、彼は13という数字は不吉と嫌い、好んで12+1度という言い方をしていたからです。

GPの通算勝利数は90勝。この記録は2008年にバレンティーノ・ロッシに抜かれることになりましたが、タイ記録となったフランスGPでニエトはロッシを祝福し、ヤマハYZR-M1でのタンデムランを披露しています。

「90+90」とお互いのGP勝利数を記したフラッグを持って、ウィニングランをタンデムで走るV.ロッシとA.ニエト。

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スペシャリストの時代を象徴するスターライダー

スペインでどれだけニエトが人気だったのかを示す、面白いエピソードの一例があります。1982年のスペインGPで、ニエトは生涯唯一の世界ロードレースGP500ccクラス出場をホンダNS500に乗り果たしています(結果はリタイア)。これはニエトの友人であり、スペイン国王のフアン・カルロス1世がニエトを500ccクラスに出場させたい、とホンダに頼んで実現したことでした。当時の関係者によると、王様の頼みは叶えないと・・・とホンダのスタッフは大慌てだったそうです。また2005年には、ニエトのドキュメンタリー映画である「Ángel Nieto: 12+1」が公開されたことも、モータースポーツ人気が高いスペインで、いかにニエトが英雄視されていたかを示すエピソードです。

1982年スペインGP、ホンダNS500に乗るA.ニエト。予選14位、決勝4周リタイアが、最高峰クラス唯一の記録となりました。

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125ccの代わりに始まったMoto3などは、MotoGPへステップアップするための育成枠扱いされているのが現代のグランプリですが、1980年代までの小排気量クラスは特別な技術を持つ職人的ライダーが大活躍するクラスでした。ニエトはそんな時代を象徴するスペシャリストの代表例でしょう。

1982年、ガレリ125に乗るA.ニエト。この年は6勝をあげてチャンピオンになりました。

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息子のニエトJr.とエミリオ・アルサモラを要するGP125ccチームの監督もつとめたニエトですが、余生のほとんどはスペインのリゾート地として有名なイビサ島で過ごしていました。そのイビサの一般公道をクアドバイクで走行中、4輪車が彼を追突。頭部にダメージをおい病院に運ばれたニエトですが、一時は容態が回復したとの報道もありました。しかし8月3日に脳浮腫により、残念ながらニエトは70歳で天に召されてしまったのです・・・。

偉大なるチャンピオン、天国で安らかにおやすみください・・・。