河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義
バモスの歩んできた19年
軽ワンボックスカー・バモスは数あるホンダ車の中にあって、1999~2018年まで19年という異例の長寿グルマだった。短いサイクルで次々と新しさを訴求することを常としていたホンダ車にもかかわらず、なぜこんなことができたのだろう。
バモスは1999年6月にストリートの後継モデルとして登場した。1997年のライフ、1998年のホンダ Zに続く“昔の名前で出ています”3弾目だった。正確に言えば、昔のバモスは“バモスホンダ”とホンダ車で唯一車名が先に来ていた。
それはとにかくとして、3モデルとも昔のイメージは引っ張っていない。そう今のN-ONEのようには。バモスにしてもバギー風オープントラックから、ちょこんと短いノーズを付けたワンボックスに変身していたのだ。
ここで一息
バモス(vamos)はスペイン語で英語のレッツゴー(let’s go)を意味します。
1970年11月に登場したフルオープントラック「バモス ホンダ」については、こちらの記事をチェック!
このバモスのスタイリングは明快だった。当時人気のステップWGNをギュッと圧縮したようで、ひと目で機能がわかるところが良かった。加えてストリートから受け継いだエンジン横置き床下ミッドシップという凝ったレイアウトが、ライバルたちに“鼻高々”ポイントを見せつけていた。
基本的にはリア駆動で、ビスカスカップリング採用の4WDを用意していたのも魅力となっていた。同じようなレイアウトで先行したZが3ドアだったのに対し、バモスはリアスライドドア付きの5ドアという便利設計。
シートアレンジは割とシンプルだった。当時は前後のシートを寝かせて車中泊ができ、長尺物のも積載できれば、それで十分だったのだ。
翌2000年2月にターボと4速ATを追加する。ここでZと同じくエンジンは縦置きになる。理由としては、当時ホンダには軽に向いている小型の4速ATがなかったため、シビック用の大きなものを使用することになったのだ。その際、エンジンは縦置きにしなければ収めようがなかったのである。床下ミッドシップだからできたことに違いない。
ボディが1トン近くあったため長距離向けではなかったが、ハンドリングをはじめ、ミッドシップならではの安心感は「バモスならでは」と納得させられた。
SUVの先駆けのようなZは2002年に寂しく去って行った。が、バモスは2003年4月にハイルーフをはじめ遊び心を詰め込んだ“ホビオ”を、2007年2月にはローダウンを追加している。その後も細かな改良を重ねて、何と2018年5月までコツコツと造り続けたのである。その後に登場したN-VANが、バモスとアクティバンに代わることとなるのだった。
改めて振り返るとバモスの良さがわかる。ここまで長きにわたって支持されてきたのは乗用車然を貫いてきたからに違いない。ライバルの多くが商用のバンと大差なかったのに対し、バモスはアクティバンとは明確に一線を画してきた。
さらには黄色いナンバーがなければ“軽”とは思えない堂々たる姿がファンを惹きつけてきたのだ。ナビの付け場所がないなど今風ではない面もあるけど、今でも普段の足に十分使えるバモスである。