連載『みんなの知らないホンダ』車業界において数多くの偉業を成すホンダ。ホンダから始まった車の技術や歴史などを自他共に認めるホンダマニアである河原良雄氏がご紹介。意外と知られていないホンダのすごいことをじゃんじゃんお届けしていきます!今回は、60年代のホンダのクルマ黎明期を振り返るお話。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義

スポーツカーで4輪に打って出る!?本田宗一郎さんの独創的なアイデア

画像: スポーツカーで4輪に打って出る!?本田宗一郎さんの独創的なアイデア

皆さんご存知のように1963年登場のホンダ初の小型車S500はチェーン駆動だった。発表前に鈴鹿で開かれたディーラーミーティングでのこと。オープン前の鈴鹿サーキットを本田宗一郎さんがプロトタイプのS360を颯爽と駆り登場。「ホンダはスポーツカーで4輪に打って出ます」と宣言した。しかし市販時は軽自動車のS360ではなく、代わってS500となる。そしてそこにはチェーンを介してリアを駆動する驚きのシステムがあった。

チェーン駆動でクルマを走らせる、と聞くと誰でも「えっ?」となるはず。S500の基本レイアウトはフロントにエンジンを縦置きしたFR方式(=車の前部にエンジンがあり、後輪を駆動させる方式)だ。

エンジン、クラッチ、トランスミッションを経て、回転はフロアトンネル直後のボディに固定されたデファレンシャルを介して左右のドライブシャフトに振り分けられる。そのシャフトの回転が、アクスルチューブと一体となったチェーンケースを介して後輪を駆動させる。これはとても独創的だ。

チェーンケースがトレーリングアームとして作動する。そう、サスペンションのパーツとしてチェーンケースを活用していたのだ。

こうしたホンダ流のパーツ活用は1964年のホンダF1であるRA271にも見られた。そのシャシはコックピットまでがモノコックで、後方は鋼管フレームで構成されていた。が、横置きされたV12エンジンはそのフレームの構成メンバーの役も兼ねていたのだ。

エンジン自体の剛性を活用すると言う発想が凄かった。チェーン駆動と相通じるものがある。

Sシリーズの発展後、Nシリーズの先祖も登場!

話をSシリーズに戻そう。
S500は1964年にS600に、1966年にS800へと発展して行く。チェーン駆動はS800の初期まで採用されたが、その後はコンベンショナルなシャフトドライブとしたリジッドアクスルに変更された。

背景にはパワーアップに伴う耐久性の確保とチェーン特有のメンテナンス、騒音対策があった。とくに輸出を考慮するとやはりプロペラシャフトとデフを介した通常のレイアウトが必須だったのだ。リジッドアクスルとなってからは、それまでの癖のあるハンドリングは影を潜め一段と乗りやすくなった。

画像2: オートバイ技術からインスパイアを受けた黎明期のホンダ車【みんなの知らないホンダvol.6】
画像3: オートバイ技術からインスパイアを受けた黎明期のホンダ車【みんなの知らないホンダvol.6】

Sシリーズは1970年をもって生産を終えるが、その後半と時がオーバーラップするのが67~71年のN360である。今のNシリーズの先祖だが、360ccの空冷2気筒SOHCエンジンはオートバイ用エンジンそのものと言っていいデザインだった。ホンダにとっては生産性や信頼性を重視し、作り慣れたエンジンの延長線を狙ったのだ。

一体化されたエンジン、ギアボックス、ファイナルユニットは、オートバイと同じくクランクシャフトとクラッチの間にチェーンによる一次減速とドグミッションを備えていた。N360のエンジンは31ps/8500rpmとライバルと比べて超高回転派で、ドグミッションは回転さえ合わせればクラッチなしでもスポッとシフトできた。そう、すべてがオートバイ感覚だったのだ。

ホンダSシリーズのチェーン駆動とN360の空冷2気筒エンジン……60年代のホンダのクルマ黎明期を振り返るとオートバイの技術が活用されていることがわかる。本格的なクルマ造りが始まるのは1971年の水冷化軽自動車ライフ、1972年にそれを小型車化したシビックが登場してからだ。とは言えS500登場から10年と経っていない。ホンダの動きは早かった!

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