60's Racing Carsとは
1962年に日本初の国際格式のパーマネント・サーキットとしてオープンした鈴鹿サーキット。翌63年に開幕した第1回日本グランプリ自動車レース大会が日本の4輪レースの曙といえる。
その大会と同時に行われた海外招待車による国際スポーツカーレース。そこで繰り広げられた海外勢による白熱のレースは日本人に衝撃を与え、その後の日本のレースシーンの発展に多いに貢献した。
そんな日本の、いや世界のモータースポーツにおけるゴールデンエイジである1960年代を駆け抜けた名車がSUZUKA Sound of ENGINE2019の会場に勢揃い。それが「60's Racing Cars」なのだ。
19台の名車が揃うのはこのときだけ!
F1にて活躍してきたロータスによるスポーツカーや、圧倒的な強さを誇るポルシェ、打倒ポルシェを掲げる国産勢など、多種多様なスポーツカーが実際にコースを走る。そしてコースに響くエキゾーストノート……考えるだけでも大興奮! ここからは19台の出走車両のなかから、抑えておきたい10車両をご紹介。
Year | Car |
---|---|
1954 | Lotus Mk8 |
1959 | Lotus Elite |
1960 | Lotus19 |
1961 | JAGUAR E Type S-1 |
1963 | HUFFAKER GENIE Mk-13 |
1964 | BRABHAM BT8 |
1964 | Lotus23B |
1964 | Porsche 904/8 |
1966 | FIAT ABARTH 1000SP |
1966 | Macransa |
1967 | DATSUN FAIRLADY |
1967 | FORD GT MKⅡB |
1967 | Honda S800 |
1967 | Macransa LM |
1967 | Porsche 910 |
1968 | LOTA T70 Mk3 |
1969 | Coniglio |
1969 | Porsche 911ST-2.3 |
1972 | FAIRLADY 432R |
Lotus(ロータス)
![画像: Lotus 19(1960) 新型ミッドシップエンジン車を投入したクーパーに苦戦をしいられていたロータス。当時フロントエンジン車で参戦を続けていたが、ついに反撃の狼煙を上げる。そのためにとったのはF1をスポーツカーにすること。ロータス発のミッドシップエンジンF1マシン・ロータス18をベースに、1960年にロータス19を製作。2500ccエンジンは250馬力と高くはないものの、F1をベースにしてるだけあってシャシーは強固でハンドリングも軽快。高い走行性能を発揮した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/cee8107fa3c6eb5fb02968989baa65ebc15c23f7_xlarge.jpg)
Lotus 19(1960)
新型ミッドシップエンジン車を投入したクーパーに苦戦をしいられていたロータス。当時フロントエンジン車で参戦を続けていたが、ついに反撃の狼煙を上げる。そのためにとったのはF1をスポーツカーにすること。ロータス発のミッドシップエンジンF1マシン・ロータス18をベースに、1960年にロータス19を製作。2500ccエンジンは250馬力と高くはないものの、F1をベースにしてるだけあってシャシーは強固でハンドリングも軽快。高い走行性能を発揮した。
![画像: Lotus 23B(1964) 1962年にデビューしたロータス23は、1963年の鈴鹿サーキットにて開催された第1回日本グランプリのメインイベント・国際スポーツカーレースに出場。ミッドシップエンジンで低く流麗なスタイルは、観客はもちろん、レース関係者にも衝撃を与え、表彰台を独占する速さを見せつけた。その後は23Bとして改良が加えられ、さまざまなレースに参戦し活躍を続けた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/1dad4c13ac6785a4dd2e8c340a5ba51130efe2d8_xlarge.jpg)
Lotus 23B(1964)
1962年にデビューしたロータス23は、1963年の鈴鹿サーキットにて開催された第1回日本グランプリのメインイベント・国際スポーツカーレースに出場。ミッドシップエンジンで低く流麗なスタイルは、観客はもちろん、レース関係者にも衝撃を与え、表彰台を独占する速さを見せつけた。その後は23Bとして改良が加えられ、さまざまなレースに参戦し活躍を続けた。
Porsche(ポルシェ)
![画像: Porsche 904/8(1964) 第1回日本グランプリで、ポルシェカレラ2(902)が予選ポールポジションを獲得するなど古くから日本でも注目されていたポルシェ。翌年の同大会では式場壮吉がドライブするポルシェカレラ4(904GTS)とスカイラインGT勢の対決となるが、ポルシェが大差をつけて優勝。904GTSは市販の水平対向4気筒2000ccエンジンに加え、ワークス用として6気筒エンジンの6GTS、8気筒の8GTSが生産され、8GTSはル・マン24時間レースにも参戦した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/a6344d2526a3078d7609ba491cfea80b716b82ea_xlarge.jpg)
Porsche 904/8(1964)
第1回日本グランプリで、ポルシェカレラ2(902)が予選ポールポジションを獲得するなど古くから日本でも注目されていたポルシェ。翌年の同大会では式場壮吉がドライブするポルシェカレラ4(904GTS)とスカイラインGT勢の対決となるが、ポルシェが大差をつけて優勝。904GTSは市販の水平対向4気筒2000ccエンジンに加え、ワークス用として6気筒エンジンの6GTS、8気筒の8GTSが生産され、8GTSはル・マン24時間レースにも参戦した。
![画像: Porsche 910(1967) 1966年の日本グランプリで、ニッサンR380と死闘を演じたカレラ6(906)を進化させたのがポルシェ910。1966年にヒルクライムレースに参戦し、翌67年SWC(スポーツカー世界選手権)開幕戦に本格デビューを果たす。当初は6気筒エンジンだったが、後半から8気筒エンジンを投入し、第6戦のニュルブルクリンク1000kmでは、8気筒エンジン車が1位から3位を独占する強さを見せた。同車は1968年の日本グランプリに参戦し、生沢徹のドライブで2位に入っている。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/5369e6b6a59401b4302ddc0e7283932d7c7ef4cc_xlarge.jpg)
Porsche 910(1967)
1966年の日本グランプリで、ニッサンR380と死闘を演じたカレラ6(906)を進化させたのがポルシェ910。1966年にヒルクライムレースに参戦し、翌67年SWC(スポーツカー世界選手権)開幕戦に本格デビューを果たす。当初は6気筒エンジンだったが、後半から8気筒エンジンを投入し、第6戦のニュルブルクリンク1000kmでは、8気筒エンジン車が1位から3位を独占する強さを見せた。同車は1968年の日本グランプリに参戦し、生沢徹のドライブで2位に入っている。
![画像: Porsche 911ST-2.3(1969) ポルシェのフラッグシップカーとして1964年に発表された、2000cc空冷水平対向6気筒エンジンをリアに搭載する高性能スポーツカー。1966年には160馬力にパワーアップされたスポーツタイプの911Sが発売されるなど、仕様のことなるさまざまなバージョンが存在する。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/338a7cc0a2ebacb236f9b3723181b5cfc03cd852_xlarge.jpg)
Porsche 911ST-2.3(1969)
ポルシェのフラッグシップカーとして1964年に発表された、2000cc空冷水平対向6気筒エンジンをリアに搭載する高性能スポーツカー。1966年には160馬力にパワーアップされたスポーツタイプの911Sが発売されるなど、仕様のことなるさまざまなバージョンが存在する。
Macransa(マクランサ)
![画像: Macransa(1966) 童夢の創業者としても知られる林みのる。彼が20代の頃にHonda S600をベースに制作した「カラス」。このマクランサはその発展バージョンであり、S600のシャシーに軽量なFRPボディを付け、オープンシーターの形状を採用。同マシンは空力の良さから多くの人に愛され、その後立教大学の学生らによるレーシングチーム「ロッドベンダーズ」をはじめ、プライベーターによって多くのレースシーンで活躍。レースカー作りを志す人々に多大な影響を与えた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/00a6f0e15666a857c6f44902d0975d072f080d33_xlarge.jpg)
Macransa(1966)
童夢の創業者としても知られる林みのる。彼が20代の頃にHonda S600をベースに制作した「カラス」。このマクランサはその発展バージョンであり、S600のシャシーに軽量なFRPボディを付け、オープンシーターの形状を採用。同マシンは空力の良さから多くの人に愛され、その後立教大学の学生らによるレーシングチーム「ロッドベンダーズ」をはじめ、プライベーターによって多くのレースシーンで活躍。レースカー作りを志す人々に多大な影響を与えた。
![画像: Macransa LM(1967) 林みのるによってHonda S600のシャシーに軽量なFRPボディが取り付けられ、オープンシーターの形状を採用した幕ランサは多くの人に愛され、プライベーターの手によって多彩なレースで活躍。本マシンはその中の1台であり、耐久仕様のボディを採用している。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/2ed3c620de6451bd282dd07b5f99fc045db4675f_xlarge.jpg)
Macransa LM(1967)
林みのるによってHonda S600のシャシーに軽量なFRPボディが取り付けられ、オープンシーターの形状を採用した幕ランサは多くの人に愛され、プライベーターの手によって多彩なレースで活躍。本マシンはその中の1台であり、耐久仕様のボディを採用している。
FORD GT MK Ⅱ B(フォード)
![画像: FORD GT MK Ⅱ B(1967) 1964年、フォードがイギリスのローラ・カーズと提携して製作したのがフォードGTで、車高が40インチと低くかったことからGT40とも呼ばれた。V型8気筒4700ccエンジンをミッドシップに搭載したスポーツプロトタイプレースカーで、1964年ル・マン24時間などに参戦したが、残念ながら結果を残すことはできず。しかし、1966年にシャシーを強化した7000cc・475馬力のマークIIが登場すると、ル・マン24時間レースに8台のワークスマシンが参戦し見事優勝。表彰台を独占した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/e46bb6b0b39e5fe10281739aca33182a1b8d7328_xlarge.jpg)
FORD GT MK Ⅱ B(1967)
1964年、フォードがイギリスのローラ・カーズと提携して製作したのがフォードGTで、車高が40インチと低くかったことからGT40とも呼ばれた。V型8気筒4700ccエンジンをミッドシップに搭載したスポーツプロトタイプレースカーで、1964年ル・マン24時間などに参戦したが、残念ながら結果を残すことはできず。しかし、1966年にシャシーを強化した7000cc・475馬力のマークIIが登場すると、ル・マン24時間レースに8台のワークスマシンが参戦し見事優勝。表彰台を独占した。
LOTA T70 Mk3(ローラ)
![画像: LOTA T70 Mk3(1968) 1965年にイギリスのローラカーズが発表した2シーターのスポーツカーがローラT70だ。その改良型となるT70 Mk3は、1968年に富士スピードウェイで開催された第5回日本グランプリレースに参戦。これは有力プライベーターの滝レーシングがポルシェとともに投入したもので、ニッサンR381とトヨタ7の戦いに挑む形となり話題に。決勝で結果を残すことはできなかったものの、その予選では長谷見昌弘がドライブするT70 Mk3が3番手に食い込み、その速さを見せつけた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/e75e7af7a3eb47d07772e84f2fd0441a20ef1bdf_xlarge.jpg)
LOTA T70 Mk3(1968)
1965年にイギリスのローラカーズが発表した2シーターのスポーツカーがローラT70だ。その改良型となるT70 Mk3は、1968年に富士スピードウェイで開催された第5回日本グランプリレースに参戦。これは有力プライベーターの滝レーシングがポルシェとともに投入したもので、ニッサンR381とトヨタ7の戦いに挑む形となり話題に。決勝で結果を残すことはできなかったものの、その予選では長谷見昌弘がドライブするT70 Mk3が3番手に食い込み、その速さを見せつけた。
Honda S800(ホンダ)
![画像: Honda S800(1967) 1963年にHonda S500が登場し、翌年にはS600へと進化。モータースポーツシーンを席巻すると、さらに翌年の1965年にはS800が登場し、日本グランプリレースGT-1クラスで優勝。さらには耐久レースでも大活躍するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け抜けた。1966年から始まった鈴鹿1000km耐久自動車レースではトヨタ2000GT、ニッサンフェアレディと戦い総合4位を獲得。翌67年からはRSC(レーシングサービスセンター)のチューニングで戦闘力が大きく向上し、1968年の鈴鹿12時間レースで2台のトヨタ7に続いて総合3位を記録するなど、目覚ましい活躍を見せてくれた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783314/rc/2019/11/08/500a3a5fb0f4c76cff378b1e7fe13c7a71fe816c_xlarge.jpg)
Honda S800(1967)
1963年にHonda S500が登場し、翌年にはS600へと進化。モータースポーツシーンを席巻すると、さらに翌年の1965年にはS800が登場し、日本グランプリレースGT-1クラスで優勝。さらには耐久レースでも大活躍するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け抜けた。1966年から始まった鈴鹿1000km耐久自動車レースではトヨタ2000GT、ニッサンフェアレディと戦い総合4位を獲得。翌67年からはRSC(レーシングサービスセンター)のチューニングで戦闘力が大きく向上し、1968年の鈴鹿12時間レースで2台のトヨタ7に続いて総合3位を記録するなど、目覚ましい活躍を見せてくれた。