連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。(デジタル編集:A Little Honda編集部)
なんとフルオープン! シティカブリオレ
今回は1984年に登場したシティカブリオレで一席と行きます。何しろ屋根を取り払ってフルオープンにしてしまったのだから。幌は手動で、耐久性を求めて分厚いため、畳み込んでも後方にちょっと盛り上がるタイプ。その盛り上がりもカバーを付ければチャームポイントとなっていたから、やはりオープンモデルは“得”だ。
そしてリアウインドウはしっかりとガラス製としていたから実用性は高かった。室内は4座。振り返ればホンダで4座オープンはこのシティカブリオレだけである。1970年登場の軽トラックたるバモスホンダも確かに4座オープンだったが、全天候対応の幌ではなかったので除外する。
この幌のデザインはイタリアのピニンファリーナの手によるもの。この頃、ホンダとは交流があり、幌のノウハウを豊富に持ち合わせていたからである。フルオープンにするとBピラーが乗員を保護するオーバーヘッドバーとなるのだが、その付け根には“Pininfarina”のエンブレムが備わる。
ホンダ車の歴史上このエンブレムが付くのはこのクルマだけだ。ボディはボンネットこそノーマルだったがルックス的には前年に登場した“ブルドッグ”ことシティターボⅡ。
そう、前後フェンダーにはブリスターを設けていたのだ。それをカブリオレ化したのだからボリューム感が伴い魅力を倍増させていた。ボディカラーはピンクをはじめ12色も用意して、キャッチコピーの「脱いで、パラダイス」を訴求していた。
私は1990年代に知り合いから濃いグリーンの5速MTを入手。エンジンが焼き付いて不動車だったが、行きつけのディラーでそこの代車のエンジンを移植。幌が傷んでいたので注文。すると全国で10枚オーダーが入ったら製作とのこと。忘れかけていた1年後に入荷。価格は22万円もした。が、交換には専用の冶具が必要だったらしく、工場長は「こちらも高いものに付きました」と笑っていた。
さらに運転席のビニール製(ファブリックもあった)シートも座面が傷んでいたので注文、背もたれとは別売だったので3万円で済んだけど……。
エンジンはターボではなく1.2L直4SOHCの最高出力67psだったから走りはいたってフツー。と言うかこの程度で十分だった、ガンガン走るクルマじゃなかったから。
ボディはさすがに屋根を切っただけあって軟だった。オープンで走るとAピラーの付け根辺りが動くのがわかるほど。とは言え、フルオープンにして“てれーっ”と海岸通りを流している時の気分はサイコーなのだ。独立したトランクも結構使えてとても重宝した。8年ほど乗って「欲しい」と言う同業者に譲ったのだった。
後日、知り合いのタルボサンバカブリオレを預かった際、その幌がサイズも作りもシティとほぼ同じであることを発見。こちらもピニンファリーナで発売も同時期。
ひょっとして二股掛けていたのでは……と勘繰った次第。そんなこんなでシティカブリオレを楽しんだのでした。もしユーザーがいらっしゃったら「大事にしてください」と言いたい!