連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第26回となる今回は、地味だったけどタイプR並みだった「アコードユーロR」です!です。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

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「アコードユーロR」の魅力

かつて、と言ってもそんな昔ではありません。2000~2008年まで2代にわたってアコードセダンにユーロRと言うスポーツモデルがあったのを知っていますか。

6代目となったアコードセダンは1997年9月に5ナンバーのボディサイズに回帰した。伝統の前後ダブルウイッシュボーンサスペンションを受け継ぎながら、VGR(バリアブルステアリングギアレシオ)を採用して走りを訴求したモデルだった。が、そのスタイリングの地味さゆえか、はたまたセダン人気の衰えからかイマイチ人気が得られず。そのカンフル剤として2000年6月に投入されたのがユーロRだったのである。

エアロパーツを纏ったボディは全幅1720mmとなって3ナンバーに。それに合わせるかのようにエンジンは2.2Lを搭載。このH22A型の直4エンジンは当時のプレリュードと共通で、DOHCのVTECで最高出力220ps/7200rpmを発生、きっちり100ps/Lを達成していた。

ホンダらしいのは吸排気の取り回しをはじめ、5速MTの2~5速をローレシオ化するなど専用設計としていたこと。エンジンのヘッドカバーはタイプRに準じたレッド、そうテスタロッサ(赤いヘッド)だった。

このユーロR、先行していたヨーロッパ向けはタイプRとして販売されていた。それよりも7psもパワーアップさせていたから、同じくタイプRを名乗れば良さそうなもの。が、そこには日本の事情があった。NSXに始まったタイプR路線はインテグラ、そしてシビックへ広がりを見せ、純粋なスポーツカーとして認知されていた。そこに上級セダンのアコードが加わってしまえばタイプRのイメージが薄まってしまう。まだタイプSという呼称はなかったし、ヨーロッパで人気だったのでユーロRとなった(のだと思う)。

このユーロRに乗った時の感動は忘れられない。

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