世界でインターネットの整備が本格化した90年代初頭。ホンダのカブにもまたまた変化が現れました。

「スーパーカブ50スーパーカスタム」時代の歴史はこちら

高品質さを保ち続けるカブ

1991年に発表されたカブは、サイドカバーをレッグシールドと同色のホワイトにし、デザイン上の変更に加え、機械式フューエルメーターの採用などの機能面での強化を図り「高速通信時代」を迎えるこの頃にも「変わらない安定感」を見せ続けてくれました。

モノクロのデザインでかっこよさが増しましたね!

変わっていく街並み

早朝の新聞配達や下町を駆け抜けるお蕎麦屋さんなど、生活に欠かせないバイクとして愛されているカブが走っていく都内。それを横目に大きな開発が続々と進んでいました。

画像1: 東京都庁広報課 PR section of TokyoさんはInstagramを利用しています:「「桜満開 新宿都庁前/Shinjuku TMG」」 www.instagram.com

「桜満開 新宿都庁前/Shinjuku TMG」

A post shared by 東京都庁広報課 PR section of Tokyo (@tocho_koho_official) on

東京都庁広報課 PR section of TokyoさんはInstagramを利用しています:「「桜満開 新宿都庁前/Shinjuku TMG」」

www.instagram.com

バブルで膨れ上がった日本経済の力強さを象徴するように新宿に東京都庁のツインビルが開業したのも1991年。

バブルとインターネット、さらに巨大化していく東京にいつもカブの姿がありました。

本田宗一郎 死去

「ホンダ生みの親」本田宗一郎氏が亡くなったのも1991年でした。悲しみを乗り越え、本田氏の魂を受け継いだカブの進化はこのあとも続きます。

スーパーカブ時代を1から振り返るなら下記リンクへGO!

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.