「栄光のチェッカーフラッグ〜ル・マン24時間レースに挑んだ日本車たち〜」
毎年、6月にフランス ル・マン市郊外のサルト・サーキットで行われるのが「ル・マン24時間レース」です。サーキットとは言っても常設のレーシングコースは一部のみ。1ラップ13.6kmのほとんどが普段は公道として使われており、必要な時だけ封鎖されます。道幅は普通に2車線道路でエスケープゾーンも狭いので、接戦ともなるとそうとうエキサイティングなバトルがそこかしこで展開されることになります。
ホンダコレクションホールでは、そんな過酷な超耐久レースに出場したマシンたちを特別に展示した「栄光のチェッカーフラッグ〜ル・マン24時間レースに挑んだ日本車たち〜」を、9月12日(水)まで開催しています。
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ホンダ車としては、1995年に高橋国光、土屋圭市、飯田章がドライブしてGT2クラスを制した84号車を展示。縦置きエンジンにターボチャージャーを装備したNSX GT1ターボなど、ユニークなマシンも出品されます。
涙、涙のクラス優勝を成し遂げた84号車のドラマに要注目!
1995年、ホンダ勢は3台のNSXを投入しました。GT1クラスにはターボ仕様(47号車)とNA仕様(46号車)の2台。どちらも市販モデルに搭載されていたRX-306型ユニット(V6DOHC/2977cc)がベースですが、最高出力はそれぞれターボが600ps、NAが8500rpmで410psを発揮していました。加えてチーム国光からは、さらに市販モデルに近いGT2クラスのマシン(84号車)が参戦しています。
例年と同じく、レースはやはり過酷を極めました。優勝も目指していたGT1クラスの2台は、メカニカルトラブルのほかクラッシュに巻き込まれるなどツキがなく、ほどなく完走狙いに。一方で84号車は、3人のドライバーの奮闘の末にクラス優勝を成し遂げました。まさにチーム力の勝利。ゴール直後の感動は、以下のように伝えられています。
1995年6月19日16:00、我らがNSXは胸を張ってサルテ・サーキットのコントロールラインを通過した。グランドスタンドの中央にあった「HONDA」の赤い旗が、日の丸とともに激しく打ち振られた。
全身の筋肉の痙攣がおさまりきらない土屋圭市は、それでも笑顔をつくりピットをあとにした。肩胛骨の骨折を押して出場した飯田章も頬を紅潮させ表彰台へ向かった。待ちに待った瞬間である。
スタンドが湧く。土屋も高橋国光もトロフィーを重そうに持ち上げる。飯田が長身の頭上にトロフィーをかざした。その直後の記者会見で、国光はやはり涙を見せた。ルマンの解説をしていたときでさえ涙ぐむのである。55歳の体躯に鞭を入れ、大勢の人々のサポートの上に、日本のスポーツカー、日本のメカニックと監督、そして日本人だけのドライバーで伝統のルマンの表彰台に立てた感激は涙なしでは語れないだろう。
(NSX Press Vol.16 「THE SPECIAL 199524 HOURS LE MANS」より抜粋)
活躍した日本メーカーの数々の名車も展示
HONDA NSXのほかにも日本メーカーのル・マン参戦がひときわ賑わっていた頃のマシンたちが登場しています!貴重なクルマが間近に観ることができる大チャンスなのでぜひ一度足を運んでみませんか?