今回は『マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1』のデモンストレーションに参加予定の、ウィリアムズ初期の独自のマシンであるFW04を紹介します。
資金難で苦労した初期のウィリアムズF1
1973年よりウィリアムズは独自開発のマシンでF1活動を行いますが、その時の車両はイソ-マールボロIRで、イタリアの自動車メーカーのイソと、タバコブランドのマールボロがスポンサーに付いてました。その後長年使われるチームオーナーのフランク・ウィリアムズのイニシャルを用いた「FW」の名は、1974年にイソ-マールボロFWとして初めて使用されています。
1975年シーズン前にイソとマールボロがスポンサーを辞めたことで、イソ-マールボロFWはウィリアムズFWと名前を変更します。FW04はこのシーズン用のニューモデルとして開発されましたが、開発の遅れでそのデビューが第4戦スペインGPまでずれ込んでいます。
1969年にプライベーターとしてブラバムBT26AでF1挑戦をスタートしたフランク・ウイリアムズ・レーシングカーズ。その後、紆余曲折を経て73年からはオリジナル・マシンを製作しコンストラクターとしての活動も開始する。FW04はウイリアムズが1975年用に用意したマシンで、スペインGPで登場。DFVとFG400を組み合わせた典型的な“キットカー”であるものの第11戦ドイツGPでラフィーが予選15位から値千金の2位でフィニッシュ。チーム創設後初の表彰台を獲得した。このシャシーナンバー2は、最終戦アメリカGPで、女性ドライバーとしてF1史上初の入賞記録を持つレラ・ロンバルディが24位で予選通過を果たすも、決勝レースはトラブルのためスタートできなかった。
その後、名前がいろいろ変わりました
1976年シーズンは、カナダの石油王ウォルター・ウルフがウィリアムズの株式の半数以上を取得したため、FW04はウルフ-ウィリアムズFW04という名前になります。しかし、ウルフ-ウィリアムズFW04は開幕戦のブラジルGPで使われた後は、ヘスケス308Cを元にしたウルフ-ウィリアムズFW05が1976年シーズンの主戦となります。そして使用されなくなったFW04はオーストラリア人のブライアン・マクガイアに売却され、F1以外のイベントではそこそこ活躍しました。