1995年に講談社の「週刊ヤングマガジン」で連載が開始された、しげの秀一先生の永遠の名作「頭文字D」。限りなくリアルなバトル描写や迫真のスピード感。すべてのクルマ好きの夢が詰まったDの世界を色々な方向から徹底解説していきたいと思います。

トヨタ スプリンタートレノ3ドアGTアペックス・1983年5月発

画像1: (頭文字Dファンブック©しげの秀一©講談社©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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コンパクト・スポーツが次々にFF化される中、FRで登場したハチロク。シャシーの基本設計自体は従来型のTE71を踏襲していたものの、軽量コンパクトなボディに130PSという当時クラストップのパワーを誇る高回転型エンジンを搭載。走りのための装備以外は簡素にまとめられたGTVグレードはレビンが136万8000円、トレノが140万円という手頃な新車価格だったこともあり、スポーツ・エントリーモデルとしてはもちろん、モータースポーツのベースマシンとしても大人気のモデルとなっていった。
 当時のインプレッションでコーナリング時の最大公約数的なフレーズを拾っていくと、「ステア特性は弱アンダーだが、コントロール次第でいくらでもパワーオーバーステアに変化する」、「アクセルオンの積極的な走りをしている限り、意のままに操れる」、「リアが滑り出してからの修正が容易で、操る満足感は最高峰」というもの。つまり当時のトヨタの企業スローガンであった「ファン・トゥ・ドライブ」をそのままカタチにしたモデルだった。

今までパワーアップに重点を置きがちでだたチューンドの概念を、フットワークを磨くという方向に転換し、格上のスポーツモデルをも凌ぐ勢いを見せたスプリンタートレノは、走り屋の注目を集め、グループAにおいてデビューウインを飾るという実力を発揮したのです。

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 ハチロク登場から4年後の1987年にFFにモデルチェンジされたAE92が発売された事により、ハチロクの中古車価格が高騰。その後95年に「頭文字D」の連載がスタートし、ハチロク人気は何度も何度も再加熱を繰り返しました。

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