「レースは結果が全てだからね。」

話の合間、彼は何度か言った。

モーターサイクルジャーナリストの伊丹孝裕さん。今年6月26日にアメリカ、コロラド州で行われた「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」に参戦、結果だけを言うとミドルウェイトクラスで7台中5位、二輪総合35台中19位、と「勝ちに行った」レースとしては惨敗、という結果となった。

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「不甲斐ない結果」に終わった理由は「体調不良」である。
体調不良の訳は腹痛。というとほとんどの人は「食あたり」や「冷え」などと思うだろう。往々にして体調管理ができてない、と一蹴されてしまうのが常である(本人ですら、そう思っていたのだから)。

レース後、運ばれた現地の病院で下された診断は「腸捻転及び腸閉塞」。医者には死ぬ可能性もある病気だと言われた。

「何で今やねん」

こんなに準備万端で挑んだレースである。マシンセッティングは万全、スタッフにも恵まれた。年齢のこともある、自分のレース活動の集大成、生涯をかけたレース。

なぜ、この日に。

絵に描いたようなアクシデント。でも、レース中はアドレナリンが出て痛みを忘れてました、などとアスリートが言っているのを聞いたことがある。

「走ってる間中ずっと痛かったよ。」

写真にも現れている。チェッカーを受けた写真では通常みんなカッコよく伏せてゴールするが、伊丹さんは痛くて吐きそうで伏せられなかった。

画像: 腹痛と吐き気で体をすせることもできずにチェッカーを受けた photo/TAKESHI YAMASHITA

腹痛と吐き気で体をすせることもできずにチェッカーを受けた
photo/TAKESHI YAMASHITA

多くの人が、この話を聞いた時、怪我なく、事故なく、無事に完走できてよかったと思ったことだろう。痛いのに走ってすごいね、と感嘆しただろう。だが、当の本人はそう思ってなかった。

「レースは結果が全てだからな。」

画像: 帰国したハスクバーナ・701スーパーモト。パイクスピークの土はまだ付いたままだ

帰国したハスクバーナ・701スーパーモト。パイクスピークの土はまだ付いたままだ

物心ついたときから心奪われた、遥か遠くと思っていた世界の舞台。

グランプリには到底行けそうにない。
イベントレースでは満足できない。

自分がチャレンジして、手の届く、世界。それを探った時、掴めるかもしれない、と思ったのはマン島TTレースだった。参戦に必要な国際ライセンスは国内のレースに転々と参戦し3年かかってやっと取得。2010年念願は叶う、マン島TTレースを無事完走した。

資金繰りには参戦前から苦労した。100年以上続く、1周60kmの島の公道を使った伝説のレースに参加した喜びの一方返済という重圧がのし掛かる。カードが全部止まりお金のなくなる恐怖を散々味わった。子供も小さく何かと入り用な時期だったが奥様にも言えなかったという。

「パイクスピークに参戦する2013年までの3年間、何してたかって言えば借金返済してたんだよ。」

笑顔でそう言う。それほど資金を要したレースだった。

そしてマン島に比べ資金面でも比較的参加しやすく、2012年よりコースが全面舗装になったことをきっかけに伊丹さんはパイクスピークに舞台を移す。

1度めはスリップダウンによるリタイア、2度めはセッティングに満足がいかなかった、3度目、勝つ気で選んだマシンはレギュレーションの変更でレースに参加できなくなり結果1年待つことに。自分の乗りたかったマシンで最後の勝負を挑もうと選んだハスクバーナ・701スーパーモトを相棒に、満を持して迎えた今年。

人生、本当に何があるかわからない。

ダメだったのは、揃える能力が足りなかった、と振り返る。

「今回のリザルトは自分の能力で、病気も含め、これから先に生きていく上での必要な結果だと思ってる。」

過去に囚われない、未来に期待しない、今あるがままを受け入れる。
幼少期、繰り返し教えられた事だった。

ステッカーの分だけ応援してくれる人がいて、数え切れない仲間が尽力してくれた。レーススタッフもみんなボランティアで駆けつけてくれている。辞める選択はなかった、辞めたくなかった。その思いが11分25秒間、激痛を我慢しアクセルを開けさせ、あの、雲の上を目指した。

画像: イラストレーターのきたみりゅうじさん、獣医師の粂野吉彦さんがヘルパーとして、ハスクバーナ東名横浜の大崎徹さんがメカニックとして帯同してくれた。皆それぞれの個性を生かしたサポートをしてくれた photo/TAKESHI YAMASHITA

イラストレーターのきたみりゅうじさん、獣医師の粂野吉彦さんがヘルパーとして、ハスクバーナ東名横浜の大崎徹さんがメカニックとして帯同してくれた。皆それぞれの個性を生かしたサポートをしてくれた
photo/TAKESHI YAMASHITA

レースに憧れた一人の男が世界のレースに参戦し惨敗した。

「自分が今に満足したことを受け入れたい。」

世界のレースに自分が挑戦できるかもしれないとわかった時、どんなリスクも背負おうと思った。やり終えた今、伊丹さんはこころ穏やかに雲を見る。結果が全てのレース、その長かった道の続きを歩みながら。

文 / 藤村のぞみ  写真 / 藤村のぞみ  山下剛

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