ホンダスポーツの顔ともいうべき方が元本田技研工業エンジニア上原繁氏。2007年にホンダを定年退職されましたが、今回特別にツインリンク茂木の「技術の歴史」と「ものづくりへの情熱」、「 チャレンジングスピリット」を感じれる場所ホンダコレクションルームで、改めて “スポーツカーにかけた思い” を語っていただきました。
『僕にこんな仕事をさせてくれた ホンダイズム を誇りたい』
上原繁氏はこれまでNSXから始まりインテグラ・タイプR、S2000と様々な車を手がけてきました!
スポーツカーの味つけ には、必ず正解がある
「造り手の理想にすべてが収斂しているのが正解なんです。操安に限らず、ドライビングポジションにエンジンフィール、シフトのフィールまで、全体が造り手のイメージ通りに仕上がっているかどうか」一流のシェフが供する料理と同じことだ。味つけに絶対の正解はないが、シェフが「これが自分にとっての最高の味」と信じたものが正解。それが理解されてこそ、客は高い料金を喜んで支払う。もちろんNSXも、上原シェフの考える理想を実現するべく味つけされたのである。
「でもNSXは民主的なほうですよ。むしろライバルの多いS2000のほうが、意識的に強い個性を持たせる必要があった。クルマはすべてを満点にすることはできないですから、どれを捨てて何を取るか、という取捨選択の結果、ストライクゾーンはどうしても狭くなる。その代わりに、その味を気に入った人にはの味を気に入った人には熱狂的に喜んでもらえるんです」
一番を目指して造り手がやりたいことをやれる... それがホンダ
そんなクルマ造りが可能だったのは、「ホンダでは、どんなクルマを造るかはすべからく開発責任者であるLPL(機種開発責任者)の責任と裁量なんです」と上原氏がいう社風にあることは間違いなのだろう。もうひとつ、「僕が考えるホンダ イズムは、一番じゃなきゃ意味がない、と考える会社。競争して一番、新しいメカも一番に出さなきゃ、と考える。それがホンダなんです」というのもポイントだ。負けず嫌いのカリスマ創業者譲りのその気風が、ホンダには今なお息づいている。(文◎横田 晃)