1992年のNSXから始まり 『Rタイプ』 はインテグラやシビックに搭載されました。走行性能を存分に詰め込んだ市販車の最上級スポーツモデルに付けられたグレード名『Rタイプ』。設定車種のボディカラーはチャンピオンシップホワイト、そして赤いHのエンブレムは一つのブランドを象徴するものでした ❤︎ 今回は、ホンダレーシングファンにとっては 絶対的な存在のNSXから登場したタイプR がなぜそれほど特別なのかその魅力に迫っています‼︎
スポーツカーNSXがあったからこそ生まれた タイプR 。
タイプRという発想のキーパーソンは、NSXの開発責任者である上原繁である。NSXを世に送り出し、その後もNSXの方向性を探っていた上原の頭の中には、かねてから「そういうモデル」の発想があったと、以前インタビューした時に述べている。さらに上原は、NSXを購入したユーザーとコミュニケーションを通して、よりレーシング・スピリットが強く盛り込まれたモデルの追加が望まれていたことも確認していた。こうしてNSXタイプRというモデルが現実化するのである。
ボディは数え切れないほどの補強と軽量化を細やかな解析のもとに行い、ブッシュやダンバーやスプリングはノーマルに対して何倍もの強度も持つものが与えられた。そして、エンジンは公差の少ないパーツで組まれた実質的な一品ものである。当然厳密なテストも相当繰り返され、この仕様のための専用品が多く開発された。
それは、このクルマを作った会社でなければ、またモータースポーツに積極的に参戦し続けてきた会社でなければできない、レーシング・スピリットの注入そのものだった。
インテグラ、シビックによって タイプR はブランドへと進化。
NSXとは違い車両価格が手頃なインテグラにおいてタイプRの手法を使うことは、コストとの戦いになる。車両価格を抑えながら魅力ある装備や性能を与えることは当然困難なことだった。実際インテグラ・タイプRの開発初期段階ではエンジンをチューニングする構想がなく、ボディとサスペンションだけを磨き上げていたという。
ある日エンジンを担当するエンジニア側から申し出があり、1.8ℓから200psというスペックが決定したという話があるほど。そう考えると、初期の頃の手作業によるバルブのすり合わせなどは、この価格のクルマとしてはこれ以上ない贅沢さだった。
インテグラ・タイプRが96スペックから98スペックへと進化できた理由は、先に述べたように予想以上の需要があったからに他ならない。こうして走りの性能にはさらに磨きがかけられ、まさに初期の謳い文句のとおり、「公道を走れるN1マシン」といえるほどのパフォーマンスを見せてくれた。
同じ手法はシビックにも採用されたことで、より一般に浸透した。この頃になると、もはやホンダ・スポーツ=タイプRというイメージが完全に出来上がった。(MM誌2001年7月号掲載)