レーシングドライバー松田秀士さんがホンダスポーツカーについて語る
日本の最高峰レースで活躍するレーシングドライバー松田秀士さんが、独自の目線でホンダのスポーツカーのこだわりを語っています!
ホンダのスポーツカーの思い出…。実を言えば私のクルマ遍歴の中でホンダ車との係わりはとても深い。まず、バイクに乗っていた時代、2台目に購入したのがドリームCB500だった。当時一斉風靡したCB750の弟分のようなバイク。でも、CB750ほどの荒々しさはなく大人のバイクだった。ホンダのレーシングスピリットは当時から孤高で、このCB500をベースにしたマシンで隅谷守男というライダーが海外耐久レースにも挑戦していた。今のように映像もない、文字と写真だけの情報で、私はいつしか隅谷選手のファンになっていた。残念ながらその方はボルドー(仏)に散ってしまったが、このときから私自身もホンダレーシングスピリットのファンになってしまっていたのかもしれない。
そして、初めて購入したクルマが軽自動車のホンダZだ。水中メガネというニックネームのリアハッチを持ったFF2BOX。エンジンはバイクの技術を移入した、360cc2気筒SOHCながらも9000rpmというレブリミットを持つ典型的な高回転型。そこに、非常にテクニックを要するヒューランド式5速MTがドッキングされていた。私は、まるで彼女ができたかのようにZに熱を上げ、走り回った。
5.5J(この時代ホイール径は10インチ)のレース用アルミホイールにダンロップのG5という、今でいうSタイヤ(レース用)に換装して走ったときスプリングもダンパーも変えていないのに、サスペンションがこのハイグリップタイヤに全く負けていないことに驚かされた。
Zに乗るたびにヒール&トゥを駆使してシフトダウンを繰り返した。そこが峠であろうが街中であろうが…。このときの修練が私のレースシーンにおけるシフトテクニックの基礎であることは断言できる。でも、未熟者であるがゆえに時々ミスを犯す…。記憶の中に2度タイミングベルトを切ってしまった事がある。ホンダSFという修理工場に持ち込むと、メカニックはニヤッと笑ってクレームで修理してくれた。彼らとの会話はいつでもすぐにレースの話に。他社のディーラー修理工場では当時ありえない会話ばかり。何かあったらそこに持ち込もうと決めていた。そこにはソウルメイトのような安心感があり、本当に信頼できた。(文◎松田秀士)
(写真◎小平寛)
レースでも取材でも・・・いつもホンダ車にはワクワク
もう一つ、私がホンダ車と係わりが深い事柄がある。初めて出場したレースでステアリングを握ったクルマがシビックだったのだ。1983年のこと、鈴鹿で行なわれるフルコースを使用したスーパーシビックレースだ。記憶に残るシビックとしては1974年にデビューし、その後のタイプRへのプロローグともいえる1200RSが思い出される。その当時の興奮はひとまず落ち着き、イコールコンディションのワンメイクカーによるレースの発信源となったのがこのスーパーシビックレースだった。
翌年、今度はシティによるシティ・ターボ・ブルドッグレースが始まり、それもステアリングを握った。スクランブルブーストと呼ばれるオーバーチャージ過給圧システムを持ち、当時のFFとしては珍しいLSDを装備するなど、まさにじゃじゃ馬なマシンだった。その一方で、シティのオープンカーはピニンファリーナによるデザインを採用するなど、お洒落な一面も覗かせていた。
このFFスポーツの流れをもっとも具現化したモデルがCR-Xだ。遅れて投入されたSiというグレードのスポーツモデルには、コンパクトなボディに新たに開発されたZCと呼ぶバルブ駆動方式にスイングアームを採用したユニークな1.6L DOHC直列4気筒エンジンが搭載されていた。このZC型エンジンこそホンダが16年ぶりに世に投入したダブルオーバーヘッドカムシャフト構造(DOHC)を持つエンジンなのだ。
さてそのCR-Xだが、短めのホイールベースで当時のFF車としてはとてもクイックなハンドリング特性を持ち、そのフォルムも個性に満ちたスポーティなモデルだった。
当時のFFモデルは操舵輪と駆動輪を同一にする構造上ゆえのダルなハンドリングが常識だったのだが、短いホイールベースと等長ドライブシャフトの採用などにより、CR-Xはその常識を覆すようなシャープなハンドリングが新鮮だった。FF特有のタックインを思うがままに操れるし、ただ普通に街中を流していても脳内活性ホルモンを分泌させてくれるような、そんなワクワクするクルマだったのだ。(文◎松田秀士)
青空の下のワインディングロードを爽快に駆け抜けるS2000は本当にカッコイイ、熱く語る松田さんも素敵です❤︎ 「助手席乗ってもいいですか?」 (笑)(あぁこ@ロレンス編集部)