”初めてのバイク”を選んだ理由
僕が初めて買ったバイクは、SUZUKIのRG50Γ(ガンマ)という50ccの原付バイクだった、とどこかで書いた。
原チャリかよ、と言うなかれ。
1980年代から90年代にかけて、日本国内には50ccのスーパースポーツ(笑)というカテゴリーが存在し、クラッチ・ギア付き、マニュアルの本格的なスポーツバイクが各メーカーから続々と発売されていた時期があるのだ。
その中でも、このRG50Γは、SUZUKIの二輪GPマシンRGΓ(ガンマ)のレーサーレプリカ、ガンマシリーズで、最も早くリリースされる栄誉を受けた名車なのだ。パワー自体は各社自主規制があり、7.2馬力に抑えられていたものの、その運動能力は非常に高く、法規を無視すれば90ccや125ccのバイクに挑めるくらいの速さだった。実際本来30km/h制限があるはずの原付なのに95km/hフルスケールメーターが付いていたほどだ(笑)。
僕がこのバイクを最初の相手(バイク乗りにとって最初のバイクというものは初恋の相手に近いものだ)に選んだ理由は、下のカタログだった。
一見アイルトン・セナにも似ているこの人は、フランコ・ウンチーニ。イタリア生まれのレーシングライダーで、1982年に二輪のロードレースの当時の最高峰であった500ccクラスで、見事世界チャンピオンに輝いた名レーサーだ。しかも、ご覧の通り、非常にイケメンである。
世界を制したマシンのレプリカに、当時原付免許を取ったばかりの16歳にも乗ることができる。その一種の煽りに僕はすぐに流されたのだった。(当時は中型免許をすぐにとろうという意識はなかった。高校もそれを禁止していたいし、どうせ250-400ccのバイクを買う金はなかった)
フランコ・ウンチーニ(Franco Uncini 1955年3月9日 レカナーティ - )はイタリア出身のライダー(→写真)。ロードレース世界選手権(世界GP)で活躍し、1982年に500ccクラス世界チャンピオンになった。
ウン悪く名前が悪かった・・・ウンチーニ
SUZUKIは当時、自社のマシンを世界一の栄光に導いたこのウンチーニを非常に重宝した。国内の販売店には立て看板を置かせ、カタログにも多用した。なにせ速いだけでなく、とにかく外見がいい。ラテン系美男子の見た目を生かして、マーケティングのマスコットにしたてようとしたのだ。
しかし。
賢明なる読者の皆さんはもうお分かりだと思うが・・・とにかく名前が悪い。
ウンチーニという響きがとにかく笑いを誘ってしまう。
どうにかこの名前をうまくごまかせないかと、SUZUKIの社内でも揉めたのではないだろうか。メディアによっては、彼をウンティーニとか、ユンチーニと書いていることもあったからだ。
しかし、スペルを見れば "Uncini"であり、どうやってもウンチーニとしか読めない。実際、1983年から連載開始されたバイク漫画の金字塔『バリバリ伝説』の中でも、ウンチーニに憧れる登場人物(聖秀吉)が、主人公 巨摩郡に笑われるというシーンがあったのを悲しく思い出す。
僕の記憶では、SUZUKIという大メーカーがガンガン推したにも関わらず、ウンチーニは日本ではスターになれなかった。しかも不運にも1983年には事故で重体となって戦線離脱してしまったので、結局マーケティングもその辺りが潮時となってしまった。
結局、名前(と語感)はブランディング上、非常に重要だという結論だけが僕の記憶に残ることになった。
悲劇?のヒーロー、ウンチーニ。
それでもあなたは僕をバイクの道に導いてくれた恩人の一人として、僕はいつまでも覚えていますよ。