ブライアン・ミッチェル・スミスは生まれも育ちもミシガン州の38歳。プロダートトラックライダーとして今年でキャリア21年目の彼は、2015年にXゲームズ・ゴールドメダリスト、2016年には悲願のGNC ( = グランドナショナルチャンピオンシップは翌年から現在のAFT = アメリカンフラットトラックへと名称変更) シリーズチャンピオンを獲得するなど、数多の輝かしい足跡を刻んできましたが、今期最終戦を迎えることなく、前節カリフォルニア州サクラメントマイル・Wヘッダーをもって現役生活に終止符を打つことを発表しました。

孤高の"マイル・マスター"!キャリア30勝中、実に25戦はマイルレースで

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。身長160センチ・体重64キログラムと大変小柄なブライアンですが、競馬の騎手よろしく空力面での有利さもありやなしや、緻密なレース運びの感性が光る彼の持ち味は、本場ダートトラックレーシングの4つのカテゴリー (ショートトラック・ハーフマイル・マイル・TT) のうち、最高速度220km/hを超え、競技距離も最長となる1,600メートル・オーバル = マイルレースで遺憾なく発揮されました。

ブライアンがとりわけ好み、得意としたレーストラックは、イリノイ州スプリングフィールド・マイルで、2006年秋にキャリア初のマイル戦勝利を上げて以来、その通算勝ち星は実に6。この数字は同地14勝のスコット・パーカー (1987〜2000年) 、12勝のクリス・カー (1995〜2008年) に続き、リッキー・グラハム (1982〜1993) とタイ記録となる、彼の輝かしい記録のひとつと言えるでしょう。

ショートトラックやTTはぜんぜん不得手?いやいや彼の周りがより速いだけ!

"マイル・マスター" として広く知られ、親友にして最大のライバル、ジャレッド・ミースからも "2気筒・ロングトラック戦では誰よりも手強い、手の内の読めない相手" と評されてきたブライアンですが、450cc単気筒・ショートトラック・TT戦ではそこまで際立ったパフォーマンスを発揮しない印象があるかもしれません。が、それは周囲の単気筒・短距離戦により長けたライバルたちに比べ、やや控えめなだけ。

GNCキャリア初勝利を上げた、2006年デイトナ・ショートトラックでのC&Jホンダ450を駆る姿、あるいはエスケーワイ / GREEDY Racing Leathersによる招聘で我が国に3度来日し、当時栃木県・ツインリンクもてぎで行われていた400mオーバル戦で、その頃の我が国トップライダーたちと戦った彼の姿は、見る者に鮮烈な印象を与えるものでした。

当時を知る者の語る昔話・・・と言われてしまえばそれまでですが、日本のダートトラッカーがそれこそ毎週のように走り回ったレーストラックで、スポンサー様からのご褒美旅行?としていきなりやってきた本場の一流ライダーが果たしてどんなパフォーマンスを見せつけるのか、つぶさに目にすることができたのは、競技の歴史やライダーの実力の "違い" を知る上でも大変貴重な経験だったと言えます。財産だなぁ。

まぁ筆者の知る限り、レース前夜にはあちらでのレースシーズン中は一切クチにしないはず (当時) のアルコール類もちょっぴり?飲んでたし、少しだけ?夜遊びもするし、完全にストイックな "100%アスリートモード" だったかと言うとそれはやや違うかと思うんですけど。ね、ブライアン?

ブライアン・スミス現役最後のレースはまさかのジャレッド号借り物ライド?

過去10シーズン、カワサキ・ニンジャER650 → インディアンFTR750 → ハーレーダビッドソンXG750R → そしてまたインディアン、とエンジンメイカーをスイッチしてきたブライアン・スミスとその相棒・クルーチーフ兼エンジニアとして恊働してきたリッキー・ハワートン氏についてはこちらの記事をご参照いただくことにして・・・

今期は2016年にブライアンがチャンピオンを獲得したカワサキによく似たレイアウトのオリジナルフレームに、インディアンFTR750エンジンを搭載した独自のマシンでの挑戦を続けた彼らチームでしたが、最終節サクラメントーマイルの1日目でマシンに深刻なトラブルが現出したため、翌日のレースでは盟友にして最大のライバルであるジャレッド・ミースから予備マシン (チューナーはかつてクリス・カーと組んだケニー・トルバート) を借り、生涯最後のプロレース?に挑んだブライアン。この辺りのそれぞれの度量の深さ、行って来いの心意気も本場のベテラン勢ならではです。

思えばオイル点検窓割れで煙吹いてリタイアとか、ホイール内部にルール外のウェイトつけた嫌疑とか、先鋭的で独自の熟成を進めてきたブライアンとハワートンのマシンには、周囲から数々のケチをつけられた苦労もありました。(カワサキでチャンピオンを獲らせたくない大きな力が働いていた?)

体格もライディングスタイルも違うマシンを短時間で自身にアジャストする、プロならではのセットアップで、25周の決勝レース、23周目までの5番手から残り2周で3つポジションを上げ、トップ独走するジャレッドに次ぐ2番手フィニッシュ (3秒落ち) で、プロキャリア最後のレースを終えました。

ビクトリーラップはこの着順ならまぁそうだよな、のタンデムライド。お馴染みだけど涙出そう。

20年以上に渡るこの2人のバトルがもう見られないってのは・・・まだなかなか実感の湧かないところではあります。過去には引退しても年数戦のスポット参戦を果たすベテランライダーも少なくありませんでしたが、現在のAFTのレースフォーマットや社会状況、自身やチーム・スポンサーの負担を考えるに、今はその可能性はない、とキッパリ否定するブライアン。大変名残惜しいですがこれまでの彼のパフォーマンスを思い返しながら、次世代の台頭するシーンを見つめていきたいと思います。

ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!