11月16日(土)と17日(日)の両日、鈴鹿サーキットで開催される「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」には、世界ロードレースGP500ccクラスで活躍した3人のチャンピオンがゲストとして来場します! 今回はその1人、1990年代に最高峰クラス3連覇の偉業を成し遂げた、ウェイン・レイニーを紹介します!

カワサキとホンダで、AMAスーパーバイク王者に輝く!!

1960年10月生まれのレイニーは、9歳のころに自宅近くのカリフォルニア・アスコットパークでレースを始めました。1/2マイルのトラックでライディングスキルを磨いていた当時のレイニーは、ガリー・ニクソン、マート・ローウィル、ケニー・ロバーツのような優れたダートトラッカー・・・そしてAMAグランドナショナル王者になることを夢見ていた少年のひとりでした。

グランドナショナル王者・・・という彼の幼きころの夢はかないませんでしたが、レイニーは誰もが認める最も成功したアメリカンライダーのひとり・・・と呼ばれるにふさわしい業績をロードレースの歴史に残しています。まず1983年には空冷DOHC2バルブのカワサキGPz750で、水冷V4のホンダ軍団を打ち負かし自身初のAMAスーパーバイク王者となります。

ロブ・マジー率いるカワサキチームのエースとなった1983年シーズンのレイニーは、6勝をAMAスーパーバイクで記録。750ccとなって初年度のAMAスーパーバイク王者に輝きました。

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1984年はケニー・ロバーツのチームから世界ロードレースGP250ccクラスに参戦。第2戦イタリアGPで3位表彰台を得る活躍をしますが、残り3戦を残してこの年のGP活動を終了。レイニーもGP参戦は時期尚早と考えていたようで、アメリカに戻りAMAを走ることを希望したのです。

1985年、レイニーはホンダ系のマクリーン・レーシングから、AMAフォーミュラ1と250GPに参戦する契約を結びます。両クラスでレイニーは幾度か優勝する活躍をしますが、怪我に悩まされたシーズンでもありフォーミュラ1では8位、250GPでは3位というランキングに終わりました。

ホンダファクトリー契約となった1986年、スーパーバイクでレイニーは9戦中6勝という好成績をおさめました。しかしミッド・オハイオでの負傷が響き、1984、1985年のスーパーバイク王者であるフレッド・マーケルに、この年3連覇を許すことになります。

翌1987年、レイニーは自身2度目のAMAスーパーバイクタイトル獲得に成功しました。このシーズンのレイニーは、GPでの最大のライバルとなるケビン・シュワンツとAMAスーパーバイクのほか、海を渡っての英米対抗戦(ブランズハッチ)でも激しいバトルを繰り広げ、多くの人が彼らのライバル関係に大興奮することになったのです。

K.ロバーツ以来となる、GP最高峰3連覇を達成!!

1988年からレイニーは、ヤマハYZR500に乗りGP500ccクラスフル参戦を開始。第12戦イギリスGPで初優勝するなどの活躍で、レイニーは初年度からランキング3位という好成績を残しました。1989年はヤマハからホンダに移籍した前年度王者、エディー・ローソンらをライバルたち相手に奮闘。3勝を記録するものの、惜しくもランキング2位にとどまりました。

1990年、レイニーはラッキーストライク・ヤマハからマールボロ・ヤマハにチームを変更。開幕戦の日本GP(鈴鹿)での優勝を皮切りに、この年7勝をマーク。見事自身初のGP500ccタイトルを獲得しました。

1991年型ヤマハYZR500(0WD3)に乗るW.レイニー。彼が乗ったすべてのレーシングマシンのなかで、最も好きなモデルはこの年のYZR500だったそうです。

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1991年、レイニーは6勝をマークしてタイトル防衛。1992年はK.シュワンツ(スズキ)、ミック・ドゥーハン(ホンダ)らライバルのタイトル争いを制し、ヤマハライダーとしては偉大なるケニー・ロバーツに次ぐ、2人目のGP最高峰クラス3連覇を達成しました!

1992年はシーズン3勝に勝ち星はとどまりますが、見事3連覇を達成することに成功します!

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そして運命の1993年、4連覇に向けてシーズンを戦っていた第12戦イタリアGPで、トップ走行中にレイニーはハイサイドで転倒。そのときに負った頚椎損傷で下半身不随となり、ライダーとしてのレースキャリアを絶たれることになりました・・・。

ライダー引退後、レイニーはチーム監督としてGPの現場で戦い続けており、今は2014年に発足してAMAスーパーバイクシリーズをプロモートしている「モトアメリカ」の代表として活動を続けています。

日本で最もロードレースがアツかった時代の英雄に会いに行こう!!

今回レイニーは、カワサキ/ヤマハでの先輩・チームメイトだったエディ・ローソン、そして所属チーム監督だったケニー・ロバーツとともに「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」のゲストとして来場します。きっと会場では、1980〜1990年代のGPの裏話など興味深いエピソードをトークショーなどで披露してくれるでしょう。

車椅子に乗っているレイニーが、当時のGPマシンでデモ走行をすることは難しいですが、トークショーの舞台にはぜひとも彼が最も愛した1991年型のYZR500(0WD3)を、一緒に並べて欲しいですね・・・。なお当時を振り返るインタビューで、レイニーは「使い慣れたグローブのようにフィットした1991年型は、あらゆるサーキットのあらゆるコーナーで、自信を持って走らせることができた」とコメントしています。

1991年型ヤマハYZR500で疾走するW.レイニー。

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第1回目だった「SUZUKA Sound of ENGINE 2015」以来となる、世界GP500ccクラス王者のアメリカンレジェンドライダーたちが来場することになる今年の「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」・・・モータースポーツファンを自認する方はこれを見逃すと、一生後悔すると思いますよ!

Wayne Rainey Profile 1991 Eastern Creek GP500

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