part.16に続いて、「ウラジオストク自動車博物館」の模様をお伝えいたします。今回は第二次世界大戦期の軍用車と、ソ連時代の2輪モータースポーツネタを中心に展示内容をご紹介します。

ソ連時代をしのぶ、展示車の数々!

ペレストロイカの時代に生まれた子供も、もう三十路という今・・・。1922〜1991年の間、ユーラシア大陸に「ソ連」という国家があった時代は、段々と遠い昔の記憶になりつつあるようです。

東西冷戦の影響もあり、ソ連時代の彼の地のモーターサイクル業界の話題は、当時ほとんど入ってこないような状況でしたので、ソ連のモーターサイクル事情・・・と言っても日本ではピンと来ない方がほとんどでしょう。そこで、ウラジオストク自動車博物館の豊かな2輪展示車のコレクションのなかから、軍用車、そして独自の発展を遂げたモータースポーツ文化の一端に触れていきたいと思います。

ウラルのご先祖、M-72が主流になる前、軍用車などとして活躍したPMZ-A-750 (1934-1940年)。著名なソ連のエンジニアのひとり、ピョートル・ウラジーミロヴィチ・モザロフをリーダーに、1930年からNATIはソ連初の大型2輪車開発に着手します。モザロフはBMWでインターンをしましたが、彼が選んだのがフラットツインではなく746ccの Vツインだったことは、非常に興味深いです。1933年5月に最初のNATI-A-750が完成しますが、技術的な事情から1934年7月からはポドルスキー・メカニカル・プラント=PMZで生産されることになりました。

www.automotomuseum.ru

TIZ-AM-600 (1936-1943年)も、M-72が主流になる前の時代に軍用車として重宝されたソ連製品です。タガンログ工具工場=TIZで生産されたこのモデルは、1930年に入手したBSAスローパーを参考に開発されたモデルで、596cc単気筒エンジンから16.5馬力の最高出力を得ていました。なお軍用車のほか、少数は白バイ用にも使われたそうです。

BMWとともに、軍用車として活躍したドイツ製フラットツインがツゥンダップKS-600です。597ccで28馬力を発生するKS-600は当時の高性能車であり、1938年から1941年の間に18,000台が生産されたと言われています。

な・・・なんと! 日本の陸王(97式)もウラジオストク自動車博物館に展示されていました! ハーレーダビッドソンを国産化した「陸王」ですが、1936年には側車輪駆動の2輪駆動サイドカーの「97式」が日本陸軍に正式採用されることになりました。なお終戦後、生き残りの97式は中古車市場をとおして販売されたりして、戦後復興に貢献したりしていました。

アメリカのハーレーダビッドソンWLA42は、連合国の最も有名な軍用モーターサイクルのひとつですが、このモデルは戦時中ソ連にも提供され、複数のソースによると3万〜5万8,000台が北の大地に届けられたそうです。ソロで使われるほか、M-72用の側車を付けたバージョンも活躍し、戦後もソ連軍で使われ続けたそうです。

独自の発展をとげたソ連時代のモータースポーツ界!

共産圏だったソ連は、1956年までFIMに加盟していませんでした。ただ、戦前から各種モータースポーツは国内で行われており、決してソ連のモータースポーツ熱が低かったワケ・・・ではありません。なおFIMのモトクロス世界選手権では、ビクトル・アルベコフが1度(CZ、1965年)、ゲンナジー・モイセーエフが3度(KTM、1974、1977、1978年)250ccクラス王者に輝くなど、素晴らしい実績を残しています。

ドイツのDKW RT125のコピーである、K-125M(1952〜1955年)のスピードウェイマシン。

ソ連時代から現在に至るまで、ロシアはアイスレース最強国として君臨しています。アイスレースの興りは、記録に残るものでは1924年のスェーデンが最古ですが、戦後の1966年に発足したアイススピードウェイ世界選手権では2019年まで個人タイトルを奪われたのはわずか7度! そして1979年成立のチーム・アイスレーシング世界選手権ではソ連-CIS-ロシアの代表チームが、通算35以上もタイトルを獲るなど、圧倒的な強さを誇っています。右は1982年のチェコのヤワ891(単気筒500cc)。アルコール燃料を用い、64馬力! を8,500rpmで発生します。中央はIzh6.218という自国製2ストロークのアイススピードウェイ車 (1988-1991年)。340ccで最高出力は32馬力でした。

1964年チェコ製ESO DT-5。ソ連時代からロシアはスピードウェイも盛んで、チーム世界選手権時代(1960〜2000年)、チームW杯時代(2001〜2017年)、そしてスピードウェイ・オブ・ネイションズ時代(2018年〜)を通して強豪国のひとつに数えられてきました。チームW杯時代まではゴールドメダルを獲得したことはなかったのですが、2018年に悲願を達成。そして2019年もゴールドメダル防衛を果たすなど、近年は最強国の地位をキープしています。

ロシアはモーターサイクルのオリンピックとも称される、国際6日間トライアル(ISDT、現在はISDE)で国際トロフィー奪取を果たしたことはないですが、ソ連時代の衛星国だった東ドイツはMZワークスの活躍により、7度(1963、 1964、1965、1966、1967、1969、1987年)も栄誉に浴していました。こちらはMZ黄金期の1960年代のMZ ETS250-1/G (1962—1967年)。近代レーシング2ストロークの父と呼ばれるW.カーデン技師率いる、MZチームのワークスエンデューロ車です。じつは私、1970年代のMZワークスISDT車を2台所有しているので(自慢?)、そのご先祖様であるマシンを間近に見ることができてとても嬉しかったです。

こちらはIzhの公道ロードスポーツ、ジュピター3をベースにしたロードレーサー、Izh-Sh12です。1977年に少数が作られたこのレーサーのエンジンは空冷2ストローク2気筒350ccで、ツインキャブレター化と圧縮比向上によりスタンダード車より30%出力をアップ(最高速は200km/h)。変速機は5段で、2種類のレシオの異なるクロスミッションが用意されていたとのことです。なおジュピターシリーズは1961年から、2008年(!)まで生産されていたロングセラーでした。

スピードウェイのロシアリーグで活躍する、ウラジオストクの名門チーム「ボストーク」のディスプレイ。多くの名ライダーが、ここから輩出されたとのことです。

・・・と、私ひとりで大コーフンして騒ぎ立てるような内容の記述でどうもスミマセン(苦笑)。空冷4気筒のボストークなど、1960年代のGPロードレーサーも展示されていたらさらに嬉しかったのですが・・・それは欲張りすぎですね。ともあれ個人的には、興味深い展示車の観察を堪能することができた、ウラジオストク自動車博物館訪問には大満足でした! (続く)

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