連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第23回ホンダ偏愛主義は、その後のホンダ流クルマ造りの原点「ライフ」です!(デジタル編集:A Little Honda編集部)

「ホンダ偏愛主義」前回の記事を読むならこちらから!

1971年5月、N360の後継として登場したライフに自動車業界は驚いた。

性能競争と早々と決別して、実用性を重視していたからである。N360で、ホンダがパワー競争に火を点けておきながら、だっただけにライバルメーカーは唖然となった。背景には1969年に提示されたアメリカのマスキー法があった。そう、70年代は環境を考慮しなければ生き残れない、とホンダは考えたのだ。

その答えは水冷エンジンにあった。排出ガスをコントロールする上で温度が不安定な空冷はNGだったからだ。空冷にこだわった宗一郎さんも渋々納得したという。

水冷2気筒SOHCエンジンは最高出力30psと控えめで、静粛性を求めてクランクシャフトバランサーを内蔵。国産車としては初めてとなるコッグドベルトも採用した。このエンジンから回転が反時計回り、つまり逆回転となる。ギアを1枚かませているからまったく問題なしだったが……。

FFシステムはエンジンをオフセットさせ、横にトランスミッションを配するフィアット流ジアコーサ方式に変更された。これによってエンジンルームはN360よりさらにコンパクトにまとめることができたのだった。ボンネットを開けて向かって右にエンジンが収まるようになったのも、このライフからだったのだ。ホンダ党はこんなところにもこだわる。

こうしたFFレイアウトによって4ドアを実現したのも画期的だった。何しろ当時の軽自動車の規格は全長3m、全幅1.3mである。ここに4枚のドアを設けるには長いホイールベースが必要となる。そこでN360よりホイールベースを80mm延長。N360同様、リアにはトランクを用意した。室内空間は当時の軽自動車たちの中でピカイチに広く軽自動車としてはひとつの完成形だったと言えるだろう。

実用性重視は走りにも表れていた。最高速は105km/hに落とされたものの、4速MTのトップスローは20km/hを可能としていたのである。そして街中での使用をメインにしたのがタウンというグレード。エンジン出力はあえて21psに落とし、その代わりに27km/Lと言う低燃費を実現していたのである。ホンダは「こっち」と決めるとトコトン突き進むメーカーなのだ。

だが、そんなホンダも市場動向には逆らえなかった。