連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第14回は、「シビック」です。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

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ホンダには「ミスター シビック」と呼ばれる人がいた。伊藤博之さんである。伊藤さんは、1969年に初代シビック開発チームから始まり、77年に“スーパー”と呼ばれた2代目のPL(プロジェクトリーダー)、そして81年に3代目“ワンダー”のLPL(ラージプロジェクトリーダー)、85年に4代目“グランド”のLPL、88年に5代目“スポーツ”系のLPLを歴任、そしてRAD(四輪事業本部企画室参事)として6代目“ミラクル”までシビック一筋のお人である。

その後は大衆車統括、開発企画室長、ホンダR&DヨーロッパUK代表取締役、本田技術研究所役員などを経て2004年に定年退職。これまで私は仕事で何度もお話させていただいているが、ざっくばらんな方で、クルマのシビック共々長年の大ファンである。

数年前、そんな伊藤さんにインタビューするオファーを受けた。某誌のシビック企画で、だ。「なぜ私に?」と訊けば「ホンダ好きで原稿が早いと耳にしました」とのこと。取材場所はツインリンクもてぎのホンダコレクションホールだ。

インタビューは、10時にスタート。間に昼食をはさみ、「そろそろ閉館したいのですが」とホールの方に言われる17時まで何と7時間にも及んだ。この間、当然ながら話はシビックオンリー。退職されていたこと、加えて“時効”も手伝って、今だからこその話がいっぱいあってとても楽しかった。

中でも伊藤さんの思い入れが最も強く、私としてもベストなシビックだと思っている5代目“スポーツ”の話が興味深かった。

5代目のスポーツにあった4ドアセダンのシビックフェリオ。

「LPLとしては4代目までで起承転結を済ませたのでまったく新しい展開をしたかった。カップルがクルマで楽しめるクルマにしたかった。そのためにデザインを優先させた。4座を用意したり、リアゲートを上下二分割にしたり、デルソルもその流れだった」と懐かしそうに語った。

オフレコは?と振ると「お蔵入りになったのが三つ。ひとつがデジタルメーター。これからはこれだろう、と。二つ目がアメリカデザインでカッコ良かったシャトルに代わる5ドアのRV。そして三つ目が横置き5気筒。これは2Lで180ps出ていた」とのこと。歴史に“たられば”は付き物だが、もし5気筒シビックが世に出ていたら、アウディはさぞかし悔しがったに違いない。

シビック全体をうかがった際に「歴代シビックで今手元に置いておきたいモデルは?」と訊くと、「スポーツシビック3ドアSiR-Ⅱのキャスティバブルー」と即答。

ボディカラーまで限定しているあたりがミスターシビックである。同じ質問を私が受けたら「スポーツシビック3ドアSiR-Ⅱのミラノレッド」と即答する。カッコいい2+2の3ドアHBで車重は1トンちょい。そこにパワフルな1.6LのVTEC版DOHCの170psを搭載。スポーツシビックは見ても、乗ってもすっごく楽しいクルマだった。

ちなみにスポーツ3ドアSiR-Ⅱの型式はEG6、以前紹介したCR-XデルソルSiRはEG2。型式から兄弟関係をわかっていただけるはず。

筆者NO.1シビック

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