「ゼロ」からスタートした孤高のピュアスポーツ:FD3S
1989年8月に日産スカイラインGT-Rが、90年9月にはホンダNSXが発売され、かつてないほどのスーパースポーツブームに湧いていた91年末、その2台の大排気量スポーツとは方向性が異なるモデルがフルモデルチェンジを迎えた。孤高のロータリー・スポーツ、マツダのRX-7だ。当時のマツダの販売店系列の名を冠して登場したアンフィニRX-7、FD3S。その開発における最重要課題であったのは「ZERO作戦」。意味するものは、「スポーツカーとは何か」という原点に立ち返るというのがひとつ。そして、「第二次世界大戦中の名戦闘機であったゼロ戦のエンジニア魂と精神から学ぶ」という意味が込められていた。とはいえ、当時でもゼロ戦誕生から50年以上が経過していたため、工学技術を学ぶことはほとんどない。しかし、ゼロ戦の空中戦における卓越した格闘性能、運動性能を実現するための血のにじむような努力と世界を驚かせた創意工夫が、RX-7の技術者スピリットに火をつけた。
ボディのフロント&リアエンドに近いパーツになるほど徹底した軽量化を追及したFDは、コスモスポーツ以来のマツダの伝統であるフロントミッドシップにより、前後重量配分50対50を実現したのです。
「FDの最大の武器は旋回スピードの高さだ」
頭文字Dの中で啓介の兄、高橋涼介が言ったこのセリフが明確に実際のFDを表現していて、ドライバーとマシンの一体感を史上空前のレベルで実現した1台なのです。
1991年の12月末、FD3SはJARIの谷田部コースで、筑波サーキットで、凄まじい実測データを叩き出した。最高速は252.189㎞/hを余力残しでマーク。これはR32
スカイラインGT-RやホンダNSX(NA1)に肉薄する数字であった。また、ゼロヨン加速は13秒40。これはGT-Rの13秒13、NSXの13秒33に次ぐ、歴代国産車ナンバー3のタ
イムであった。さらに停止状態からの100㎞/hや0→1000mではR32GT-Rに次ぐ歴代国産車ナンバー2のタイムを記録。
日本の自動車税課税時の排気量区分では、ロータリー車は「単室容積×ローター数×1.5」として換算されます。そしてFDのエンジンそのものの総排気量は1308㏄しかないので、税法上の排気量区分においては2リッタークラス。しかし、当時の同クラスのスポーツモデルに、FDの敵はいませんでした。マツダ開発チームが掲げた「あらゆるステージで人の心を昂らせずにおかないスポーツカー」それが啓介のFD3Sなのです。