ひとりの男の情熱の結晶
最新のロータリー・レーサーを紹介する前に、まずこのプロジェクトの中心人物を紹介したいと思います。英国のブライアン・クライトンは、1986年にノートンに加入してから今日まで30年間、ずっとロータリーエンジンのモータースポーツにおける可能性を追求し続けた人物です。
クライトンはR&Dチームの一員として、空冷588cc・2ローターの公道用モデルのエンジンをチューニングしました。彼らの手により、85馬力から120馬力まで最高出力を向上させたノートン・ロータリー・エンジンは、プロトタイプのロードレーサーの車体に搭載されました。
1987年のテストでは、273.5km/hの最高速を記録。翌年は参戦2戦目で見事優勝を飾り、この結果を受けて社は本格的なファクトリーチームを結成。タバコブランドのJPSのスポンサードを受け、本格的なロードレース活動を開始します。
強力な日本車のライバルを相手に、JPSノートンチームは1989年の英国750ccスーパーカップ選手権と英国F1タイトルをスティーブ・スプレイが獲得。ロータリー・エンジンのポテンシャルを広くアピールしました。
1990年秋以降クライトンはフリーランスとなり、ROTON(ロータリーとクライトンの合成語)という名で、新型ロータリー搭載レーサーを製作。このマシンはFIMの認証を受け、1991年のオーストラリアGP500ccクラスに出走。S.スプレイが2ストロークV4マシンを相手に奮闘して15位に入り、ノートンにとって久々となるGPランキングのポイント獲得に成功しました。
1992年、スティーブ・ヒスロップがマン島TTセニアクラスで、ノートンにとって1973年以来の勝利を獲得。しかし、このころ既にノートンは財政難に陥っており、以降ノートンロータリーのレース活動は、クライトンのロートンが中心になっていきました。
クライトンがレース活動のためパートナーに選んだのは、英国の名サイドカードライバーで、レーシングマシンのコンストラクターとして活躍したコリン・シーリーでした。そしてオイルメーカーのダッカムスがスポンサーとなり、クライトン・ノートンの名で英国内のレースを転戦することになります。
1994年は、フィル・ボレーとイアン・シンプソンのふたりをチームライダーに起用。シンプソンは日本製スーパーバイクやドゥカティなど強力なライバルを相手に、その年のBSB(英国スーパーバイク選手権)の獲得に成功しました。
この年限りでクライトン・ノートンのレース活動は終了しますが、その後もクライトンはロータリーの開発を続け、2009年には新生ノートンの下で久しぶりのマン島TT参戦(NRV588)を果たしました。
最高出力200馬力! 将来のマン島TT参戦に期待しましょう!
2010年以降ノートンは、アプリリアV4を搭載するSGシリーズでマン島でのレースキャンペーンを開始し、市販化の計画もあったロータリーは、サイドラインに追いやられることになりました。そこでクライトンは再びフリーランスの立場で、クライトン・レーシングを発足させます。そこで造られた最新のCR700Pは、排気量を588ccから700ccに拡大。200馬力のエンジンを、乾燥重量136kgの軽量な車体に搭載しています。
先月、クライトン・レーシングのFacebookページは、マン島TT期間中に「あなたは将来、CR700Pがマン島セニアTTを走る姿を想像できますか?」という意味深な投稿をしていました。もしクライトン・レーシングのCR700Pが、日欧のスーパーバイクを相手にセニアTTで優勝争いをするには、あと1割弱のパワーアップと、そして優れたTTライダーの起用が必須でしょう。そのほかスポンサーの獲得など、クライトン・レーシングのマン島TT挑戦には高いハードルが数多く立ち向かうでしょうが、30年にわたるクライトンのロータリーへの情熱をこのまま貫いて、いつの日にかマン島TT参戦を果たしてもらいたいと思います。