自分を置いてどこかに消えた男を追って、彼が残したモーターサイクルにまたがって旅に出た女。
愛車はKAWASAKI 500SS MACH III 、いわゆるマッハ。
男はなぜ姿を消したのか。どこにいて何をしているのか。なぜ、女はわざわざ免許をとってまで、マッハに乗り、そして、彼を追いかけるのか?

東本昌平先生が描く、モーターサイクルと男と女のエピソードには、人生に翻弄されながらもバイクに跨ることで、問題に対する解ではなく、問題へと向かう気力を得ていく様が多く描かれているが、その中でも出色と言えるのが、この三部作だ。

彼女の覚醒を象徴するマッハの変化

ところで、僕は、マッハを手に入れた頃の男と女を描いた『The Triple Ace』、そして、彼女とマッハを置いて失踪した男を追う女を描いた『The Red Snake Come On! 』の間の、重大な変化に今更ながら気づいた。

もちろん、毎日の仕事をそつなくこなし、男を食わせている”都合のいい彼女”から、淀まず留まらない マッハの似合う”いいオンナ”になった彼女の変化も大きいのだが、男が乗っていた時のマッハと、女が男を探しながら全国を駆け回っているときのマッハが、実は大きく違うのだ。

簡単に言えば、どノーマルだったマッハが、彼女の愛馬として登場したときには、ところどころカスタムされている。
それは彼女の変化に似ている。平凡なOLから、全国のキャバクラを回りながら生活の糧を稼ぎ、マッハで男を探し歩く逞しいオンナへと覚醒した彼女のように、古くて壊れがちだったマッハがカスタムされて、街々の走り屋たちをカモるマシンに変貌していたのだ。

©東本昌平先生/モーターマガジン社

ノーマルのマッハ。無邪気にタンデムシートではしゃいでいた彼女。(©東本昌平先生/モーターマガジン社)

革のつなぎに身を包む彼女が跨るマッハは、リアサスも変わり、エンジン周りに手が入っていることがわかる。
(©東本昌平先生/モーターマガジン社)

もっと速くとけしかける彼女と彼を乗せたマッハは、ハンドル周りもオリジナルのままだ
(©東本昌平先生/モーターマガジン社)

覚醒した彼女が走らせるマッハは、セパハンで、ブレーキのマスターシリンダーもフロント・リヤとも設置されている。
(©東本昌平先生/モーターマガジン社)

追いかけてヨーコ&マッハ。

前にも書いたけど、東本先生の作品にはいろいろな女性が登場してきて、わりとやさぐれたというか、素直なお嬢さんというよりは、なんかスレてて男慣れしてたり わざと情念を隠してクールを装った感じの、そう、オトナの女が多い気がする。そして彼女たちの多くは、男をその気にさせる色気と、思わず怯ませるような強さを併せ持っている。

このマッハの彼女もまたその代表的なキャラクターの一人なのだが、彼女の場合、普通の生活に埋没している平凡な存在(もちろんそれが何が悪いかというと全然悪くない。むしろ、一般的にいえば、そのほうが付き合うにしても結婚するにしても絶対いいだろう)であった女性が、根無し草的で旅こそ日常!のような生活へと傾き、バイクだけを財産に旅するような”特殊な”オンナへと変化する、ビフォーアフターが描かれていることで、東本作品の中でもひときわ異彩を放つキャラクターになっていると思う。

逆に言えば、同じ三部作の中に描かれる、失踪するほうの男は、案外何も変化しておらず、もし彼女と再会したとしても、今度は彼女の方が彼を置いていくのではないか?と思えたりする。
(ちなみに彼女の名前は作品中に出てこないのだが、東本先生はヨーコと呼んでいるのではないかなと思わせる節がある。それは本作を実際に読んで探していただきたいw)

東本先生の作品といえば男臭く、無骨でいきがっていて、とんがって生きている男たちの存在が強く印象付けられるが、実は オンナに対する憧憬と敬愛が感じられることが多い。
この三部作はその象徴であり、さらに、その彼女の変化を 深く語らず説明せずに、ただマッハの変化を淡々と描くことで、サブリミナル的に我々に植え付けるところが、さらにこの作品に深みを与えている。そう思う。

またまた関係ないけど、このマッハを駆るクールな女性のイメージに、中島みゆきさんの『追いかけてヨコハマ』がふと浮かんで、ちょいと検索したら、YouTubeでこんなファイルを見つけたので、のっけっておきます。それほど上手いとも思わないけれど、男っぽさの中にイイ感じの色気があるので、いいかな、と。

追いかけてヨコハマ(中島みゆき)を弾き語りました。

www.youtube.com