この記事では47年前のマン島TTを振り返り、当時のロードレース界やマン島TTがどんな様子だったのかを、ご紹介したいと思います。

ダイヤモンドジュビリー・・・60周年の記念大会

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マン島TTは1907年が初開催だったので、1967年のマン島TTは60周年(ダイヤモンド・ジュビリー)にあたる大会でした。そして日本のメーカーにとってもこの年は大きな意味がある年で、この年限りにホンダとスズキはファクトリーロードレース活動を中止したため、最初の日本メーカーのグランプリ黄金期に終止符が打たれた年でもあるのです(なおヤマハは翌1968年までファクトリーロードレース活動を続けています)。


第1期ホンダ・ファクトリーGP活動期最終年のTT


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この年のマン島TTの話題は、ホンダのエースとなったマイク・ヘイルウッドの、250ccクラスでのヤマハ勢、そして最高峰500ccクラスの王者MVアグスタ+ジャコモ・アゴスチーニと、いかに戦うかでした。250ccクラスは、フィル・リードとビル・アイビーという強敵を退け見事優勝。そして500ccでは、アゴスチーニとの一進一退の攻防が繰り広げられました。


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6周364.32kmで競われた500ccレース。最初の周回でアゴスチーニとMV3気筒は、ヘイルウッドが持っていたラップレコードを更新。次の周回ではヘイルウッドが再びラップレコードを塗り替えますが、この時点ではまだアゴスチーニがリードを保っていました。


この名勝負は、メカニカルトラブルによりアゴスチーニがリタイアしたことで実質終了しました。ヘイルウッドは、105.62 mph (169.98 km/h)のタイムで優勝。この記録は1975年にミック・グラント(カワサキKR750)に破られるまでTT史上に留まった、驚異のレコードタイムでした。なおヘイルウッドは250、500ccに加え、敵のいない350ccクラスでも優勝し、マン島TTの"ハットトリック"(1大会で3勝の意味)を達成しています。


1966年にメーカータイトルは獲得したものの、肝心のライダータイトルは逃していたホンダにとって、1967年のライダータイトルをMVアグスタ+アゴスチーニのコンビから奪うことは最大の目的でした。しかし、残念ながらシーズンを通して、前年から高出力ではあるがハンドリングが最悪というRC181の持病はシーズンを通して完治することなく、ヘイルウッドほどの名手をしても遂にRC181を御することできませんでした。結果ライダータイトルは前年同様MVアグスタ陣営のものとなり、ホンダがグランプリ最高峰のライダータイトルを手にするのは、1980年代のフレディ・スペンサーの時代までお預けとなったのです。


1959〜1967年・第1期ホンダファクトリー活動最後のマン島TTを映したムービーを紹介し、今回は終わりとさせていただきたいと思います。マン島今昔物語(仮)、好評であれば今後もロレンスで紹介させていただきたいと思います。

出典:British Pathé 

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