「チョー久々に関東でダートトラックしたいから予定空けといて!誰か誘って!モロモロ揃えて!」やたらと暑い今年の夏、お盆休みど真ん中の日曜を指定して難しいお題を出してきたのは写真中央、南国高知の村山 "ZOOMEE" マサズミ。両隣の本橋・松浦両名との頭文字から "3M" と呼ばれたこのトリオ、いにしえの日本ダートトラック "レースシーン" のトップカテゴリーで激しく競い合った面子が、冗談抜きの12年ぶりに揃って、当時を肌で知る我々には懐かしい風景を見せてくれました。

12年ぶり(!)に3人集い、ヒャク乗ってガチャガチャ戯れる姿に思うこと

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。多分15年くらい前?の20代半ば、アメリカはミシガン州のGNCライダー宅に住み込んで、全米選手権の2気筒戦ではその彼をメカニックとして支えつつ、単気筒戦には自身の用意したスズキ450ccで挑戦し、ナショナルナンバー (末尾にアルファベットの付かない2ケタの固定ナンバー) 獲得をひとつの目標に据えて数シーズンを戦ったズーミー。あちらでは何度か大きめの怪我もしたはずですし高く分厚く時に理不尽な "本場の壁" もきっと幾度も体感したことでしょう。

数年に渡るアメリカGNCへのチャレンジを終えたあとは、郷里に戻って "モトショップZOOMEE" を開業。その後2011年、もてぎダートトラック最後のシーズンにはカラダひとつで上京(?)して最高峰エキスパートオープンクラスに久々参戦。ちなみにボロで旧くてもいいなら貸すよと450ccマシンを用意したのは当時B級の筆者ハヤシ。最近は忙しい仕事の合間を縫って四国でハードエンデューロを嗜んだりしている様子ですが、鉄スリッパー履いてオーバル走るのはあのころ以来、なのかな?

当時はまだSNSなんかほぼ未発達の時代ですし、マメにBlog書くライダーとかも中にはいたけれど、どうしたってマイナー系だと内向きになりがちなモータースポーツシーンにあって、彼ら3Mの活躍は当時現場に居合わせた我々の記憶の中ではまったく色褪せることなどないにせよ、紙でもWEBでも記録にはあんまり残っていないのがとっても残念なところ。本当にすごい選手たちだったんです。時代が早過ぎたなぁ。今ならレース映像とか練習風景とかもっと発信できていたでしょう。

3M Reunion: first time in this 12years

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そんな12年ぶりに集った3Mがちっちゃなオーバルで100cc3台でよーいドン!してみた動画がこちら。決してその凄みが伝わる映像じゃあないとは思いますけど、干支が一回りする間ほぼスリッパ履いていなくても、というかモトクロスブーツ自体一度も履いていなくても (加水分解して帰るまでにバラバラになってました) 昔取った杵柄というのか始終同じ空気吸っていた距離感というのか・・・当時250ccや450ccで毎週のように競い合ったトップランカーたち、勘の戻る速さも第一級でした。

あのころはピンからキリまで"レーシング・コミュニティ"だったのだなぁ

昔は良かった式ノスタルジアの沼にズブズブ沈むつもりはないのですが、レースとかその勝ち負けを根幹に個々人の活動が組み立てられていたあのころ、競争は我々の日常のかなり大きな部分を占めていて、それこそ平日も寝ても覚めてもレースのことばかり考えながら、バランス悪いけど今より濃密な日々 (モーターサイクル・ライフ、という意味で) を過ごしていたような気がします。

あれこれ突っ込み過ぎて生活そのものとか人との関わり方とか金銭面とかに綻びが生じてしまうヒトがちらほらいたりとか (ダメだろ) 、いろいろマズいこともあったような気もしますけど・・・?"レースシーン" としてはヒリヒリしていたあの頃のほうがやっぱりカロリー高かったかもしれないし、この10年集まりを主催する側に身を置いてきた立場としてはなかなか歯がゆいものがありますよ。

病禍も終息に向かっていることだしいい加減そろそろイベントの再起動を・・・とはしばしば筆者に向けていただく声なんですが、この10年来の取り組みをそのまま再現・再開するだけではこちらの気分が最早あまり高揚しないと言いますか・・・手に入れて3ヶ月ちょっとのプライベートトラックもまだまだ作りかけ (倍くらいには広がるかな?) だし、もうちょっと練りたい感じ、です。御免!

ではまた次週、金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!