東日本大震災から10年の時を刻んだ今年3月。思い返せば、日本で長年ダートトラックに親しむ人々にとって、あの春は "もうひとつの大きな転換点" でした。この年に至るまでの10数年間、我が国ダートトラックレースシーンの、おそらくは中心地であった、栃木県・ツインリンクもてぎ内、まさに "TWINのRING" として常設された、400m + 200mのふたつの美しいオーバルトラックが、2011シーズン終了をもって閉鎖・廃止となることが、決定事項としてライダーたちに伝えられたのです。

"ダートトラック運営は儲からない" ですって?あったりまえじゃーん!

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。ほんの10年前まで、完全な夜間照明設備つき!200m + 400m二重のオーバル!路面整備も撒水もトラック専属スタッフにお任せ!の、我々ライダーにとって "完全お客さま仕様" のチョー立派なトラックが存在したことは、最近このスポーツと出会った方には全くご存知のないことかもしれません。

なぜこのような恵まれたプレイグラウンドが失われ、現存しないのか・・・?当時をまあまあよく知る関係者、ここには書けない?書かない?ようなことまで掘り下げてしまった、筆者とか筆者とか筆者とか (激しく強調しています) に直に聞いていただければ、色々と黒めの想い出話もできるんですが、シンプルに表向きの理由を述べてしまうなら、それはレーストラック運営会社の "経営上の判断" = お前らどれだけ走らせても全然儲からないんだわゴメンねゴメンね、ということなのでした。

撮影: 斎藤淳一

地面作って門戸をガバっと開いただけでウジャウジャとライダーが集まってきて大盛り上がりの爆儲け、ともしも運営側が考えていたのだとしたら、こちらに言わせれば相当おめでたい話です。トラックを作り上げ良コンディションを維持するのには、結構バカにならない労力と資金が必要ですが、ただそこにレース場が存在するだけではおそらく回収不能です。これはアメリカでも同じでしょう。

当時全国からこちらのダートトラックレースに出場していたライダーは、おそらく100名超を数えたはずです。もちろん毎戦その全員が揃うわけではありませんし、力の入れようはもちろん千差万別ですが、いざ大会となればそのエントリー数は最低でも50を優に超え、広大なパドックは関係者 (多) と観客 (少) で溢れるほどでした。そうね、観る人を多く呼び込めなかったのも敗因のひとつかな。

撮影: 斎藤淳一

何より一番の問題は、程々に活況の大会が年に5戦あったとして、そのための走行可能な練習日が、なんと年に50日以上も用意されていたことです。首都圏から100kmのサーキットに毎週のように通い、家庭を全然顧みなかったり給料のすべてをブッ込んで "ダートトラック道" に邁進する猛者 (別に1ミリも褒めてないです) は当時だってまぁ少数派。常駐スタッフ数名 (管制塔・フィールドフラッグ・路面整備・救急車) に対し、それより少ない来場者ってことも練習日ならザラにありました。

集中的スケジュールで大きな人出を動員し、最大限の費用対効果を上げる・・・経営上の判断と仰るけれど、実のところ足りてなかったのは肝心なビジネスのセンスだったんですね。この競技がメチャクチャ雨に弱いのは確かですが、だとしても代案はあったはず。大会の雨天予備日を設けるとか。

撮影: 斎藤淳一

"ダメで元々・やるだけやったろ系" の抗議って難しいものなんですねー。

東日本大震災のわずか数週間後、各地で大きな被害が報じられ、いつレースシーズンが始まるかなどまだ想像すらできなかった3月末、サーキット支配人の名前入りで "悪いけど今期いっぱいで辞めるわヨロシク" とキッパリ書かれたお手紙が全ての関係者に届けられましたが、黙って受け入れるほどお人好しではない我々は "閉鎖撤回を求める請願署名運動" なるものを直ちにスタートしました。

最終的に1万筆にちょい届かずの9,700余の賛同の声が集まったこの請願の骨子、興味のある方はインターネットで検索していただければ多分見つかります。青臭く稚拙な文言ですが、今でもまぁまぁ読める内容にはなっています。考えたのは主に私なので読み返すとだいぶ恥ずかしいのですが。今ならSNSなどを駆使してもっと多くの人の目に触れる機会が作れるのかもしれません。

その結果がどうであったのかは、あのレーストラックが現存しないことで明らかなわけですが、ダメで元々、やるだけやってみる、という心意気においては全く無駄ではなかったと今も思っています。

撮影: 斎藤淳一

まぁ全ての関係者が一丸となって取り組んだか、というとそんなことは全然なくて、人生最後のレースシーズン?になるだろうから走る方に専念したいスポーツマンとか、お上の決定には一切逆らいません黙して死すべしみたいな従順な羊ちゃんももちろん一定数いましたけどね。気持ちは大いにわかります。別に気にしてませんよ。最後のシーズンで完全に燃え尽きた皆さん、その後お元気ですか?

それよりなにより、メイカーからの広告出稿で糊口を凌いでいる主要二輪メディア関係者の沈黙っぷり?他人ゴト感?はマンガのようでした。中にはチョー気骨のある方もいてぐっときましたけど。

そしてサイアクなのはあの "天下の一大事" のとき一切なにもしなかったのに、10年たった今も先輩風吹かせてご活躍 (のつもり?) の中年ライダー連と、最近話題の愛知のリコール署名運動よろしく他人の名前を書いたり何度も何度も自分の名前書いたりして、危うくブチ壊しにしてくれそうだった方々。他種目のレース会場で署名集めしてても平然と飼い犬の名前書くヒトとかもいましたからね。いったいなんなんですかね?"意識低い系" ですか?

私論!結論!結局のところ・・ブレイクスルーを生む場はレースしかない。

10年ぶりにこの話題を正面から取り上げて、筆者の20代をわりと捧げたあの場への憧憬とか、今はどこかへ去ってしまった当時のレース仲間の面々とか、やはり思い出される私怨 (!) とかがまるで走馬灯のようでまとまりがつきませんが、結局のところいつも書いているように、ライダーを鍛え育て、シーン全体とカルチャーの深度を増す場は本格的なレースの本番をおいて他にないのではないか、というのがあくまで筆者の持論です。

撮影: 斎藤淳一

何につけても緩い集いが尊ばれる最近の風潮ですが、ヒリヒリするような真剣なド突き合いと、そこに至る過程を楽しめる純粋な "スポーツ" としての競い合いはダートトラックレーシングの真骨頂。昨年からの感染禍はそれ自体が困難な状況を作り出していますが、一部の愚かな行いによって舞台が失われつつあったあの時と比べれば、あるいはじっと耐えて凌ぐことも難しくはないかもしれません。毎度のことですけど、今は刃を磨いて待つべき時、と捉えるしか?

ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!
※筆者主宰のレースシリーズFEVHOTSは引き続きCOVID-19対応でお休み中です。皆様どうぞご安全に。