当時ジレラは、モデル名に惑星の名を好んで使っていました
世界恐慌期の1920年代末に、ソ連と英国で2WDサイドカーが具現化したことは前回の連載記事でお伝えしましたが、不整地で特に有効なトラクションを生む2WD技術は1930年代に各国のメーカーで研究が進むことになります。
まずはサイドカートライアルというモータースポーツのカテゴリーで、2WD技術はその威力が広く認められることになりました。しかし、1930年代の2WD研究を最も活用できる分野として注目されたのはモータースポーツの利用ではなく、軍用サイドカーの駆動系としての利用でした。
2輪大国のイタリアで、2WDサイドカーを形にしたのは1909年創業の古豪メーカー、ジレラでした。1915年にロンバルディア州アルコレに移ったジレラは、1920年代の終わりに近代的な工場を作るとともに、技術者らスタッフの育成にも注力。その結果1930年代には高品質な製品を作るメーカーとして、そしてモータースポーツで活躍するメーカーとしての地位を確固たるものにしています。
1937年からジレラは、イタリア陸軍に500LTE(バルボーレ・ラテラリ=サイドバルブ、テライオ・エラスティコ=エラスティック・フレームの意)という軍用車を納入します。500LTEは基本的には当時のジレラ量産車をベースにしており、エンジンには498ccサイドバルブ単気筒、そして車体にはエラスティック(弾性)リアサスペンション・・・つまりスイングアームを採用していました。
そして1942年からは、2WD技術を取り入れた軍用サイドカーであるマルテをジレラは生産します。ちなみにマルテとは伊語の「火星」です。この時代のジレラは、サトゥルノ(土星)やネッチューノ(海王星)など惑星の名前を自社製品に与えるのが"ブーム"だったわけです。
ジレラ・マルテのユニークな点は、2WD機構を採用しやすくするために駆動系にシャフトドライブを用いていることです。この構成はまた、不整地での使用がメインとなる軍用車にも適していました。駆動系が完全密閉になるので、泥や水によるトラブルを防ぎやすくなるからです。
またマルテは500LTE同様、ジレラの特許技術である「エラスティカ・ブレヴェタッタ」=弾性リアサスペンションを採用。1930〜1940年代、世界の2/3輪車はリアリジッドのモデルが多かったですが、ジレラ軍用車のリアサスペンションは後輪の路面追従性に優れ、良好なトラクションを発揮するのが大きなアドバンテージでした。
シビリアンモデルとして、生まれ変わった戦後のマルテ
世界史に詳しい方には「耳タコ」な話ですが、第二次世界大戦における枢軸国・・・日独伊の3国のうち、イタリアは一番早い1943年9月8日に停戦・降伏しています。その後傀儡政権のイタリア社会共和国とイタリア王国が内戦状態になりますが、1945年4月にはイタリア社会共和国の瓦解という結果に終わっています。
1945年5月にドイツが、9月に日本が降伏したことで第二次世界大戦は集結。そしてイタリアでは早くも1946年には、222台の民間向けマルテが製造販売されています。
また158台の軍用マルテは、民間向けにコンバートされ市場で販売されています。これら戦後のマルテはソロ版がメインでしたが、武器技術として発展した2WDは、平和な時代が訪れてからは必要なかった・・・ということなのかもしれません。