のっけから某超有名漫画の超有名セリフを拝借して恐縮です(汗)。世の中の多くの方は後輪+側車輪を駆動する2WDサイドカーといえば、第二世界大戦期のドイツのツュンダップ or BMW、もしくは今現在サイドカーメーカーとして世界中のファンから支持されているウラル・・・を思い深べるでしょう。また、2WDサイドカーはドイツがオリジンと思っている方も多いと思いますが、実はツュンダップとBMWの2WD技術は、ベルギーのあのメーカーの作を参考としていたのです・・・。

軍用車の技術として発展した2WDサイドカー

そもそもサイドカーの側車輪を駆動して走破力を向上させるというアイデアは、サイドカーの軍用車としての能力を高めるために生まれたもの・・・というわけではありません(最初のアイデアの話は、稿を改めてご紹介します)。

もっとも、現代以上にバイクとサイドカーが軍用に重宝されていた1940年代以前の時代、走破力の高いサイドカーというものは理想の軍用サイドカーであったに違いありません。

もしも地球上の陸地すべてがキレイに舗装されていれば、軍用車に強力な走破力がなくてもなんとか? なったでしょうが 、周知のとおり過去の2つの世界大戦の各戦場は不整地が主でした。

特に欧州の戦場などは、ドロドロのマディコンディションも当たり前・・・。本車(バイク)側の後輪だけでなく側車側の車輪も駆動する2WDにすれば、戦場の不整地でも楽に走破できる軍用サイドカーになる・・・という発想は自然なことにも思えます。

軍用2WDサイドカーの元祖・・・といえば、多くの方はBMW R75をイメージするでしょう。そしてミリタリー好きの方であれば、BMWとともにツュンダップKS750の名をあげると思います。

ツュンダップKS750は、1941〜1945年の間に18,284台、そして終戦後は1948年までストックされた部品を使い、349台が製造されました。

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BMW R75は1941年から1944年の間、約18,000台が製造されました。

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ツュンダップ、BMWともに、2WDサイドカーの量産を開始したのは1941年ですが、1941年は軍用モデルの生産に専念するため民間向けモデルの生産を中止した年でもあります。KS750とR75はともに、1947年11月のドイツ国防軍のオーダー=大型サイドカー専用設計車に入札して生み出されたモデルです。

その開発の途中で・・・ドイツはベルギーから当時世界最高の軍用サイドカーと評されていたモデルを入手し、その技術を細かく研究。そしてその技術を巧みに自国製品に取り入れたのです。

捕獲され、ドイツ軍にも使われたFN M12a SM

ツュンダップとBMWの2WDに影響を与えたベルギーの軍用サイドカーとは、FNのM12というサイドカーのミリタリー版FN M12a SMでした。FN(ファブリーク・ナシオナール・デ・ハースタル)は1889年に設立された「ハースタル国営兵器製造所」が母体であり、1901年から1967年の間は2輪製造業者としても活躍したベルギーのメーカーです。

1930年代初頭、ベルギーは再び大きな世界大戦が勃発することに備えるため、アンリ・デニス国防長官の指揮で陸軍の再軍備と機械化を推し進めました。その中には大型軍用バイクの入札も含まれており、軍の主要サプライヤーだったFNも当然これに応札しました。

そして「3人の完全装備の兵士と機関銃を搭載できる」という条件を満たすモデルとして、FNはM12a SMを開発します。

FNの軍用サイドカー「M12a SM」。エキゾーストパイプが接触により破損しないよう、アップマウントになっています。また水平対向のシリンダーをしっかり守るように、エンジンガードが配置されているのも外観上の特徴です。

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M12a SMのエンジンはBMW的な水平対向2気筒のレイアウトで、動弁系はサイドバルブを採用していました。排気量は992ccと大きいですが、最高出力は22hp/4,000rpmと控えめな数値でした。圧縮比は5.0と極めて低く、これは低品質なガソリンでも使えるという当時の軍用車ならではの設定でした。またキャブレターや電装部品などをなるべく高く配置することで、50cmの水深の浅瀬ならば走り抜けることを可能としているのも、M12a SMの特徴のひとつです。

もっとも、M12a SMの最大の特徴は側車輪駆動=2WDを量産車として初めて採用した点です。M12a SMは4速+リバースのハンドチェンジ式ギアボックスを備えていましたが、パートタイム方式でドライブシャフトを介した駆動力を使い側車輪を駆動することが可能だったのです。

M12はまず民間モデルが1937年のブリュッセルモーターショーで公開されましたが、民間モデルは大量生産されることはありませんでした。同年春から軍用M12a SMのテストのテストを経て、結局1180台のM12a SMが生産されることになります。

そしてそのうち、1090台のM12a SMがベルギー軍に供給されることになりますが、残りは1938年7月にベルギー・スパで開催された国際軍用車コンペティションでの高評価を受け、イラン、ギリシャ、アルゼンチン、スイス、ルーマニア、リトアニア、ペルーに輸出されることになりました。

そして、これら輸出されたM12a SMのいくつかは、ドイツに引き渡されることになります。当時ツュンダップはM12a SMの2WDメカニズムに注目し、その技術を開発中のKS750に取り入れることにしたのでした・・・。

軍用のFN M12には、サイドカーよりも輸送能力を向上させたFNトライカーT3=軍用トライクも存在しました。

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1940年5月10日からの、ドイツのフランス侵攻に伴うベネルクス三国への攻撃で、ベルギーはあっけなく5月28日に降伏することになりました。そしてベルギー軍のM12a SMの多くは、ドイツ軍に捕獲されてしまうことになりました・・・。

あわれドイツの戦利品となったM12a SMは、スターリングラード攻防戦を含む東部戦線に使われることになります。祖国を守るために作ったM12a SMの2WD技術は敵国の兵器にコピーされ、しかも車両そのものも敵国の武力として使われてしまったのは、なんとも悲しいお話ですね・・・。

捕獲され、ドイツ軍に使われることになってしまったFN M12a SM。

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こちらの動画は、貴重なM12a SMの生き残りを紹介するものです。ハイテンション? なコメントと、そのフラットツインサウンドをぜひお楽しみください。

Let's ride FN M12a SM

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