1月13日、1970年にスズキに乗り、日本メーカーに初めて世界モトクロスGPタイトル(250ccクラス)をプレゼントしたレジェンドライダーであるジョエル・ロベールが、ベルギー・シャルルロアの自宅でお亡くなりになりました・・・。

1964年、20歳で当時最年少のモトクロスGP王者に輝く!

日本メーカーが世界モトクロスGPに挑戦を始めたのは1965年からであり、その先駆けとなったスズキが初めてタイトル(250ccクラス)を獲得したのは1970年のことです。この年のタイトルは1943年生まれのベルギー人ライダーであるJ.ロベールにとって、4度目の250ccクラスの栄冠でした。

ロベールはバイク好きの家に生まれ、彼の父はスピードウェイで活躍したライダーでした。そして叔父やいとこたちもバイク好きであり、幼少時のロベールは彼らと競うことを楽しみにしていました。そんな恵まれた環境で育ったロベールは、1960年代初頭から欧州モトクロス選手権に参加するほどのライダーに成長しました。

それまで500ccクラスのみだったモトクロスの世界選手権ですが、1962年よりFIMは250ccクラスにも世界選手権のステータスを与えています。1962〜1963年、ロベールはプライベーターとして英国のグリーブスを駆り、それぞれの年で250ccクラス年間14位、25位の成績を残しました。

彼が一躍モトクロス界のスターダムに上ることになったのは、プライベーターながらチェコ製CZに乗り、1964年の世界GP250ccクラス王者になったのがきっかけでした。当時若干20歳だったロベールですが、彼は当時最年少モトクロス王者という記録を後世に残すことになったのです!

1965年、J.ロベール(左)とV.アルベコフ。マシンはともに、チェコのCZです。

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1965年からはCZファクトリーライダーとして250ccクラスに参戦したロベールですが、1967年までの3シーズンは1965年はビクトル・アルベコフ(CZ)、1966〜1967年は最大のライバルであるトーステン・ホルマン(ハスクバーナ)に屈し、ロベールは3年連続で2位の座に甘んじることになりました・・・。

1968年、ロベールはT.ホルマンを2ポイントの僅差で下し、自身2度目の250ccタイトルを獲得。そして1969年もタイトルの防衛に成功しました! この年、オーレ・ペテルソンを擁するスズキは、ロベールら2台のCZに続く3位の座を得ていました。そしてスズキは悲願のGP制覇のためには勝てるライダーが必要と判断し、なんとシーズンオフにライバルCZのライダーであるロベールとシルヴァン・ゲボスの2人に契約をもちかけたのでした!

1970年からスズキに乗り、3年連続でスズキに250ccタイトルをもたらす

1970年からスズキライダーとなったロベールは、同じスズキRH70に乗るS.ゲボスを2点差で下し自身3年連続となる4度目の250ccクラスタイトルを獲得! そして1971年、1972年も、1人だけ年間ポイント100点以上を記録する強さを見せ、250ccクラス5連覇、通算6度目の栄冠を手にしました!

しかし、類稀なるモトクロスの才能を持つロベールが輝いたのは、1972年が最後の年となりました。1973〜1975年も250ccクラスに参戦したロベールですが、年間18位、10位、9位と低迷。1976年はオーストリアのプフに乗りましたが、年間18位という振るわない成績に終わっています。

1972年、世界モトクロスGPでスズキRH72を駆るJ.ロベール。

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1976年限りでGPからリタイアしたロベールですが、彼が記録したGP50勝という通算記録は、彼が最後にタイトル獲得した1972年に生まれた同郷の後輩、ステファン・エバーツ(GP101勝)に抜かれるまで長年FIM記録として輝き続けました。

ベルギーのモトクロス・デナシオンチーム監督を務めるなど、引退後もモトクロスの世界に貢献したロベールですが近年は体調を悪くしており、さらに不運なことにCOVID-19を罹患し、入院を強いられてしまいました。一時は退院するものの心臓発作をおこし、その後は昏睡から目覚めることはありませんでした・・・。

77歳でこの世を去ったベルギーの英雄・・・日本モトクロス界の恩人でもあるロベールの魂が、天国でやすらかであることを祈ります・・・。

Décès de Joël Robert, multiple champion belge de motocross

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