この7月4週目に1週間ぶっ続けで開催されたAMAの "全米アマチュアダートトラック選手権" 。各州から老若男女が集う、年に一度のこの特別なレースウィークで、"最もプロに近い" 最優秀選手に選出された、ワシントン州マイカ出身のコーディ・コップは16歳。実は彼がまだちっちゃな幼稚園児だった11年前の2009年、本人にとって初めてのカリフォルニア遠征で、ハーフマイル2戦とショートトラック1戦を見事走り切ったその現場に、幸運なことに筆者は居合わせることができたのでした。

夜明け直前の新星に贈られる "ニッキー・ヘイデン・ホライゾンアワード"

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。2000年の全米選手権GNC: グランドナショナルチャンピオンであるジョー・コップを父にもつコーディは、ヤマハPW50で両足が地面に届いてすぐの3歳半にはダートライディングをスタート。4歳になると早くも初めてのレースへ出場し、地元ワシントンのローカルトラックで確実に経験を重ねます。

10歳になる前には早々と85ccクラスへステップアップした彼は、父とともに順調に歩みを進め (そのリスクを重々知るジョーと妻ディーディーはプロレベルにまで育てる気はサラサラなかったそうですが)、14歳でAMAファスト・ブレイン・アワード、最も優れたジュニアライダーの勉学とレースとの両立を助ける独自の奨学金プログラムを獲得。

それから2年後となる今年コーディは、16歳から申請可能なプロライセンス取得前の最大の目標だった、"アマチュア・ナショナル" での最優秀選手賞・ホライゾンアワードの獲得を果たしました。

1997年にはじまったAMAホライゾン・アワードは、その名のとおり地平線から姿を現した "新星" を讃えるもので、プロレベルに匹敵する可能性をもつ全米で最も優れたアマチュアレーサーに贈られる、いわば "プレ・ルーキーオブジイヤー" と位置づけられ、ダートトラック・ロードレース・モトクロス3種目の各部門があります。設立初年度にダートトラック部門で受賞した "超大型新人" ニッキー・ヘイデンの不慮の逝去を受けて、2017年からは彼の名が冠されることになりました。

2009年・初秋の南カリフォルニアにて。あの頃キミはピーウィーだった!

コーディの初めてのハーフマイル戦 (正確には3/8マイルくらい?) は、筆者ハヤシ自身もアマチュアオープンクラスで参加した、モハビ砂漠にあるウィロースプリングス・レースウェイのハイバンク・クッションオーバル。450ccマシンだと150km/h以上をマークするハイスピードトラックです。まだ5歳、はじめてのビッグトラック、周りはもう少し慣れた大きな子たちで、結果は大きく離されて最下位でしたが、淡々と周回を刻むコーディと、静かに見守る父ジョーの姿は大変印象的でした。

左から2番目の青ウェアがコーディ。ライン上に立つのは主催者のエディ・マルダーさん。撮影: 中尾省吾

ちっちゃな息子のハーフマイル戦デビューを心配してインフィールドでじっと見守る父。撮影: 中尾省吾

さらに翌週末はペリス・レースウェイの300m級ショートトラックで初のナイトレースに挑戦!

自分のマシンはメカニックに任せてちっちゃなPW50を真剣に暖気する全米チャンピオンの父。撮影: 中尾省吾

父ジョーとオープニングセレモニーにて。撮影: 中尾省吾

「絶対に顔を怪我させたくないから」という母のアイディアでオフロードヘルメットにオンロード用シールドを装着。撮影: 中尾省吾

"あの全米チャンピオンの息子だから" などという親の七光りのせいでは決してなく、本場アメリカのローカルレース会場には、最も小さな、それこそオミソクラスであっても全てのライダーに観客が大きな声援を送る、自然な雰囲気があります。かつての日本のシーンではほとんど考えられなかった光景で、こんな場で育っていく若い人たちにはきっと輝く未来が待っていることだろうと想像されました。しかしあの彼がホントにここまで頭角を現すとは、感慨深いものがあります。いいなあ。

今後はプロライセンスを取得し、来シーズン以降にはAFTのレースにも登場するであろうこのコーディ・コップ。両親ゆずりのおっとりした気の良い性格やスピーチ能力の高さも極めて好評で、何事もなければ将来はきっと、トッププロ・コンテンダーの一人へと成長していくに違いありません。

これからも若きコーディに武運多からんことを。
ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!