ハーレーダビッドソンといえば"Vツイン"というエンジン型式を多くの人はイメージすると思いますが、20世紀初頭から1970年代までの間、ハーレーダビッドソンはいろんな型式のエンジンを実は開発していたりします。こちらに紹介するプロジェクト・ノバの1台であるV4=V型4気筒は・・・残念ながら市販されることがなかった、非Vツインのハーレーダビッドソンでした。

はじまりは1976年・・・コラボしたのは、あの"ポルシェ"でした!!

ハーレーダビッドソンがV4などの新エンジンを作る計画を進めていたのは、同社がAMF=アメリカン・マシン・アンド・ファウンドリーという企業の支配下にあった1970年代のことでした。ラテン語の新星を意味する言葉を用いた"プロジェクト・ノバ"は、古典的ともいえる空冷4ストロークVツイン・OHV2バルブに代わる、新世代のハーレーダビッドソンの心臓部作りを意図した計画です。

プロジェクト・ノバの下で生み出されたモデルのひとつ、1981年型V4のモックアップです。

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プロジェクト・ノバの大きなポイントは、モジュラーシステムを採用するところでした。外観からするとフィンがシリンダーにあることから空冷? と思ってしまいますが、空冷よりも冷却効率に優れる水冷を採用。500、600ccのVツイン、800、1,000ccのV4、そして1,200、1,500ccのV6という、様々なエンジンをラインアップさせることを考えていました。

V4モデルの心臓部。V2、V4、V6でボアとストロークを共通化することで、ピストンやコンロッドなど様々な部品のコストダウンを図る・・・というのが、モジュラーシステムの大きなメリットです。

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バルブは当初気筒あたり2つ、という設計でしたが、後に4バルブへ設計変更。ボア・ストローク値は高回転化が容易になるショートストロークで設定。最上位モデルの最高出力は約135馬力を目標としており、これは1970年代当時の量産市販車としてはかなりの大馬力でした。

なおプロジェクト・ノバの各エンジンと5速ギアボックスの開発をハーレーダビッドソンとの協力で担ったのは、独のスポーツカーメーカーとして著名なポルシェでした。そしてハーレーダビッドソン側のエンジニアは、車体などエンジン・ギアボックス以外の構成部品の開発を主に担当しています。

非常にユニークな設計

燃料系は当時一般的だったキャブレターですが、現在主流のEFI採用も計画されていました。そして高出力にも耐える駆動系ということで、第二次世界大戦期のXA(水平対向2気筒)以来となる、シャフトドライブの採用も検討されましたが、結局コスト的に安上がりなベルトドライブの採用に落ち着いています。

シート下には燃料タンクを配置。ガソリンのフィラーは、リアフェンダー右側に取り付けられています。通常、エンジン前に置かれることが多いラジエターは、エンジン後方に横たわるように配置。内部に空洞があるフェアリング前面から走行風を導入し、後部にあるラジエターを冷やすという凝った造りになっています。

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ダミータンク内部はキャブレター(もしくはEFI)とエアフィルター、ラジエターへのエアダクト、電動ファン、そして電装類がおさまっていました。電動ファンはバイクが停車しているときも、エンジンをオーバーヒートさせないために採用されたパーツです。

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フレームはスチールのプレス構造で、ダイヤモンドタイプでした。流麗なスタイリングは、ローライダー、XLCRなどのデザインで著名なウィリーG.デビッドソンの作です。

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数年間に及ぶプロジェクト・ノバの開発には、1,000万ドルから1,500万ドルもの予算が投じられました。 そして20を超えるエンジンと、12を超える実走行可能な試作車が、様々なテストを受けています。

後のハーレーに与えた、プロジェクト・ノバの影響とは?

しかし壮大な計画であるプロジェクト・ノバは、製品として世の中に登場することはありませんでした。1981年6月のバイバック・・・AMFからハーレーへ経営権が戻ったことを機に、将来の開発機種計画に変化が起こったのです。

今後も巨額の開発費が必要なプロジェクト・ノバより、並行して開発を進めていた、もっと安価なコストで開発できる新型Vツイン・・・後のエボリューションエンジンを完成させて市販化することを、新生ハーレーの経営陣は選んだのです。

プロジェクト・ノバのV4には、ツーリングモデルのほかスポーツモデルも計画されていました。リム・オン・ディスクのフロントブレーキは、後のビューエルを想起させますね。

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そしてご存知のとおり、エボリューションエンジンを搭載した新型ハーレーVツイン各モデルは、世界の多くの市場で指示を受けるヒット作になりました。歴史とは勝者の歴史、という言い回しもありますが、結果からすると当時の経営陣の選択は正しかったと言えるでしょう。

エボリューションV2に押しのけられた格好のプロジェクト・ノバは、市販されることなく放棄される運命になりました。しかし、1983年型FXRTスポーツグライドのフェアリングとハードサドルバッグのデザイン、そしてプロジェクト・ノバから始まったポルシェとの協力関係が、後の水冷V-Rodエンジン開発につながったことなど、プロジェクト・ノバのすべてが歴史の闇の中に放り投げられたわけではありませんでした。

エボリューションエンジン搭載のFXRT 。そのフェアリングとサドルバッグに、プロジェクト・ノバの名残を見ることができます。

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もしプロジェクト・ノバのV4やV6が、1980年代半ばころに世の中に登場していたら・・・? 1969年のホンダCB750FOURが後世の大型車のあり方を一変させたようなインパクトを、与えることができたのでしょうか? それは誰にもわからないことですが、歴史の"IF"をハーレーダビッドソン公式YouTubeチャンネルの人気企画、"オフ・ザ・シェルフ"を見ながら妄想してみてはいかがでしょう?

Off the Shelf: 1981 Project Nova | Harley-Davidson Museum

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