連載『みんなの知らないホンダ』。車業界において数多くの偉業を成すホンダ。ホンダから始まった車の技術や歴史などを自他共に認めるホンダマニアである河原良雄氏がご紹介。意外と知られていないホンダのすごいことをじゃんじゃんお届けしていきます!今回は、ホンダ初のハイブリッドカーとして登場したインサイトのお話。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義

ライバル車を追い越し世界一レベルを目指す!

インサイトは1999年11月、ホンダ初のハイブリッドカーとして登場した。2年ほど先行したトヨタプリウス共々「21世紀に間に合った」のだった。

ホンダは昔っから手強いライバルに立ち向かう際に“火事場の馬鹿力”を発揮することが多かった。このインサイトでもそうだった。「意地でもプリウスを抜いたるぜ!」の気合十分だったのだ。

ハイブリッドカーたる第一義が燃費の良さである。インサイトはプリウスを追い越すことはもちろん、世界一たることを目指した。それが日本の10・15走行モードでの35km/Lであり、欧州走行モードでの3.4L/100kmだったのである。

エンジンはアイドリングストップ機構を備えたリーンバーンVTECを採用し、最高出力70psを発揮するECA型995ccの直3SOHCで、ホンダマルチマチックSのCVTまたは5速マニュアルトランスミッションの間に10kWのブラシレスモーターを組み合わせていた。

このシステムは2代目インサイトにも受け継がれるIMA(インテグレーテッドモーターアシスト)で、基本はエンジンをメインとしながら適宜モーターがアシストすると言うもの。プリウスとの大きな違いはスポーティな5速MTを用意していることだった。

2シーターのクーペフォルムは当時の電池デザインがなせるものだった。ニッケル水素バッテリーだったが、現在のようなコンパクト化とは遥か遠い世界だったため、インテリア後方はその電池類が占めるに至ったのである。

今の技術ならリアに小さなシートを設けたプラス2が可能だったかもしれない。一方で燃費向上に有効な手立てはフルに駆使していた。軽量化のために先進のアルミボディを採用し、何と軽自動車並みの820kgを実現していたのである。さらに空力はトコトン追求され、リアフェンダーにはタイヤをカバーするスパッツを設けることなどで、社内CD値で0.25を具現化していた。

本気で欲しくなった……そして買ってしまった!

当時、横浜は本牧で開かれた試乗会に参加した。スポーティな低いドライビングポジションに気を良くして走り出す。その走りには「プリウスのような不自然さがないな」というのが第一印象。とくに5速MTの走りは気持ち良さまで感じさせてくれた。

「これでエコなんだから言うことなしじゃん!」と思わずハマ言葉がこぼれた。コンパクトなクーペボディもシティコミューター的に使うなら問題なし……と大いに気に入り、生産中止後の中古車も含め、長年にわたって本気で購入を検討したのだった。とくに5速MTを。

この初代インサイトは2004年10月にマイナーチェンジする。空力をさらにアップし、CVTの効率も見直される。こうしたことで5速MTの燃費は36km/Lを実現する。が、2シータークーペという展開では裾野を広げるには至らず06年で生産を終える。

そんなインサイトは09年2月に5ナンバーボディの5ドアハッチバックで2代目へスイッチする。エンジンは88psのLDA型1339ccの直4SOHCで、10kWのモーターはよりコンパクトとなりニッケル水素バッテリーも進化。当然ながら空力ボディでCD値は0.28を実現していた。

長年インサイトに恋い焦がれていた私にとっては「買うしかない!」となり、同年5月にはミラノレッドのインサイトが手元に届いたのであった──。

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