名の知られた強豪ライダーたちが、今日の "他を圧倒するパフォーマンス" の片鱗を見せ始めたのは、いったい何歳からだったのでしょう? 本日は現代の本場アメリカプロ・ダートトラックシーンで、女性トップランカーとして唯一無二の存在である、シェイナ・テクスターのアマチュア時代、それも珍しいレーサー1年生だったころの姿をご紹介しましょう。

当代一の女性プロ・ダートトラックアスリート、シェイナ・テクスター。

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。身長150cmという小柄な体躯ながら、実は450cc単気筒クラスに参加する現役プロライダー中、最多優勝回数を誇るシェイナ・ヴァージニア・テクスターは1991年ペンシルバニア生まれ。AMAプロレーシングの歴史の中ではじめて公式に女性の参加が認められた1969年以降、トップカテゴリーの決勝レースでポイントを獲得した3人目、GNCナショナルナンバーを獲得した5人目、2気筒戦 (サポートクラスのベーシックツインカテゴリー) で史上初の優勝を記録した、当代一の女性アスリートです。

父ランディ・兄コリーと共に。シェイナ3歳の1994スプリングフィールド・マイルで。

祖父と父が元ダートトラックレーサーで、母方には幾人ものスプリントカー (ミジェットカーより大きくV8エンジン搭載・600〜800馬力のウィング付き四輪ダートオーバルマシン) ドライバーがおり、家業も郡内有数のハーレーダビッドソンディーラー、という恵まれた環境に生まれたシェイナと2歳年上の兄は、当然の成り行きとして4歳ごろからミニ・オフロードバイクに親しみ始めます。

4歳のころ、ただ一度だけレースに出場したシェイナ。マシンはスズキJR50。

1980〜1990年代のGNC黄金期にプロライダーとして各地を転戦していた父ランディには、幼い兄妹をローカルレースへ継続して出場させるために十分な時間がなく、幼いシェイナはサッカー少女として活躍しますが、父の現役引退を契機に一足先にアマチュアダートトラッカーとしてのキャリアをスタートし頭角を現した兄コリーの姿に触発され、12歳から本格的にレースに参加することになります。

シェイナ12歳での初レース。マシンはほぼストックのヤマハTT-R125。

競技生活1年目、13歳のシェイナが見せる "勝負への執念" をご覧下さい。

この映像はメリーランド州フェアグラウンド内の "ティモニウム・インドア・アリーナ" で2004年12月11日に開催されたコンクリート路面の極小ショートトラックでの、2ストローク85ccクラスの模様です。レースナンバー25の青いヤマハYZ85を駆るのが若干13歳、本格的にレースを始めて1シーズン目のシェイナ。1列4台 x 2列 = 出走8台のうち、スタートこそ3位に甘んじますが・・・?

Timonium Indoor 2004 85 Class

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ご覧いただけばわかる通り、この極端に狭いトラックを15周するレース (おそらく決勝?) で、つまり30回のターン進入と脱出を繰り返すシークエンス中、前走者を漫然と追走して無駄に周回を重ねているような・・・ "置きに行ってる" 瞬間はひとつもありません。わずか数分の超スプリントとはいえ、常に "ワンチャン狙い" ・・・近視眼的な必死の全力疾走とは全く違う、虎視眈々と獲物を狙う狩猟者の視点・・・が、後の彼女の才能の開花を予感させ、大変印象深いものとなっています。

シェイナ・テクスター初のレースシーズン、終わってみれば85ccクラスでは地方戦2位・125ccクラスでは同4位の好成績が刻まれていました。この写真は続く2シーズン目にCR250R (前オーナーはGNC10のジョニー・ルイス) で快走する姿。14歳にして本格参戦2年目と言っても、ライディングそのものは10年の経験ですからね。

いかがでしたか?
このような超ショートトラック形式でのレース、より大きくハイスピードなトラックへの果てしない憧憬?のせいか、我が国のダートトラックシーンでは比較的敬遠されがちな印象ですが、何を隠そう筆者ハヤシは大好物。チョー繊細なコントロールと荒々しくスリリングな攻防が堪らん!という意味で乗り手としてはもちろんですが、レース主催者・ハンドラーとしても、ビッグトラックにはない利点や長所をいくつも挙げることができます。

過去に何度か当コラムでも書いていますが、超ショートトラックに纏わるお話は改めてまた今度。
ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!