2月10日、病に伏せていたジャンカルロ・モルビデリがイタリアの病院で亡くなった報じられています。木工の世界から2輪ロードレース界に挑み、見事世界王座を獲得したモルビデリの栄光は永遠に不滅でしょう・・・。

1970年代の世界ロードレースGP(現MotoGP)で活躍!

ジャンカルロ・モルビデリは、1934年に農家の長男としてイタリアのペサロで生まれました。モルビデリは専門学校に通い、そこで学んだ知識が活かせる機械工場で働き始めます。 そしてモルビデリは独立し、特別な木工機械の生産のための小さな工場を開設しました。

その才覚によりモルビデリの工場は、木工の分野で最も重要かつ有名な工場の1つに急成長することに成功しました。従業員数300人を超える工場の代表・・・という地位を得たモルビデリでしたが、彼はその成功に満足することはありませんでした。

10代のころから、モルビデリは熱心なモーターサイクル愛好家でした。彼の夢は木工の世界の中にではなく、モーターサイクルの世界にあったのです。

1960年代の終わりに、モルビデリは自身の名を冠したロードレーサーを製作し、レース活動をスタートさせます。そして1975年の世界ロードレースGP125ccタイトル獲得をはじめ、世界GP王座に4度輝くことに成功したのです!

1975年、イタリアGP125ccクラスでモルビデリを駆るパオロ・ピレリ。

it.wikipedia.org

1976年からは同じペサロに本拠を置くベネリとタッグを組み、MBAブランドの市販GPレーサーを販売。また1978年と1980年にはMBAの名で125ccタイトルを2度獲得しますが、このときはモルビデリはMBAを離れ、またモルビデリブランドのGPレース活動を1982年まで続けました。

モルビデリは当時の最高峰である最高峰500ccクラスに1979年から挑戦。1980年以降は500ccクラスに専念し、ジョバンニ・ペルティ(写真)とグラシアーノ・ロッシ(バレンティーノ・ロッシの父)に、モノコックフレームというユニークな設計のモルビデリ500を託しました。

112on2.wordpress.com

驚異のV8の開発、そして余生を博物館で過ごす・・・

1970年代の終わりから、モルビデリは息子のジャンニのカート活動をサポートします。F1ファンならば周知のことかもしれませんが、ジャンニとはスクーデリア・イタリア、ミナルディ、フットワーク、ザウバーなどのドライバーとして、F1を戦ったジャンニ・モルビデリその人です。

1990年代に入ると、モルビデリは木工の会社を売却し、情熱のすべてをモーターサイクルに傾けるようになりました。そして1994年に、水冷4ストローク90度V型8気筒847cc+シャフトドライブというスペックを持つモルビデリV8を発表。$45,000という価格とともに、当時多くの人を驚かせました。

1990年代のモルビデリを象徴するモデル・・・V8と、ジャンカルロ・モルビデリ。

journal.classiccars.com

1999年からは、それまで集めていた数々のモーターサイクルの名車、そしてモルビデリのGPレーサーなど350台以上を展示する博物館を開設。世界中から来館するゲストのツアー案内役をしつつ、多くのモーターサイクリストたちとの交流を楽しんでいました。

モルビデリ博物館に並ぶ、栄光の歴代モルビデリ/MBAのGPロードレーサー各車。

www.autoevolution.com

近年モルビデリは体調を悪くしており、息子のジャンニは父のコレクションを売却することを決めました。昨年2月に博物館ごと売却・・・することで、イタリアにこれらの貴重なコレクションが残ることを多くの人々が期待しましたが、残念ながら買い手がつくことはなく英国のボナムスによりオークションにかけられることになりました・・・。

85年の人生すべてを、モーターサイクルに注いだジャンカルロ・モルビデリの魂が、天国で安らかな眠りにつかれますようお祈りいたします・・・。