連載『みんなの知らないホンダ』車業界において数多くの偉業を成すホンダ。ホンダから始まった車の技術や歴史などを自他共に認めるホンダマニアである河原良雄氏がご紹介。意外と知られていないホンダのすごいことをじゃんじゃんお届けしていきます!今回は、ホンダが世界で初めてカーナビ技術を開発したお話。誕生当初の使い方もびっくり…!未来を見据えたホンダの技術に脱帽です。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義

運転に欠かせないカーナビ 誕生当初はどんな感じだったのか…?

昔のドライブは大変だった。地図を広げて頭に入れ、標識を確認して方向を決め、時にトリップメーターの数値もチェック。それが今やナビに目的地をセットすれば、あとは言われるがままにハンドルを操作すれば到着する。

こんな便利なナビの先駆けとなったのが1981年、アコードにオプションで用意された「ホンダ エレクトロ ジャイロケータ」である。

クルマの位置情報は今はGPSによってかなりの精度で得られる。が、1981年といえばGPS夜明け前。そこでホンダはジャイロセンサーと距離センサーによって、クルマが移動する方向と距離を検出して、地図上のどこにいるかをディスプレイ上に表示。これによって目的地に到達するというもの。ガスレートジャイロ用をいた世界初の自立航法型ナビだった。

地図に手書きでマーキング…!?

39年も前になるが私はこのホンダ エレクトロ ジャイロケータの試乗をしている。当時、原宿にあったホンダ本社をスタートし世田谷の砧(きぬた)公園駐車場を目指す、だった。

幹線道路を使っては意味がないと言うことで、極力裏道を走ることに。画面にはシートになった地図をセットし、自車がどこを航行しているかを見る。軌跡はマーカーペンで辿り、右左折を繰り返してひたすら砧方面にクルマを向ける。画面上では微妙なズレが生じるので、交差点でスイッチを操作し地図上の正しい位置に補正する。これをこまめにやることで精度が保てるのだ。そう、助手席にヘルパーがいないと操作はちょっと難しい。

世田谷界隈の住宅街を右往左往しながら何とか砧公園駐車場に到達。1時間以上は掛かっていた記憶がある。あくまでもホンダ エレクトロ ジャイロケータの指示で行けることの確認だった。帰路は環八、国道246、山手通りと幹線を使ったら、アッと言う間にホンダ本社に戻った(笑)。

ホンダ エレクトロ ジャイロケータは16ビットのマイコンを搭載して様々な演算をこなしてはいたが、いかんせん自車位置がどうしても微妙にずれる。GPSのように「ここ」とポイントを決められないのだ。加えて地図はシートを用いているため、その枠から外れれば違うシートを差し込まなければならない。シートもマーカーで色塗りしてしまえば経路は確認できるが何度も使えるものではなくなる。半分消耗品状態だったのだ。

未来を見据えたホンダの技術 その後のナビの発展に大きく貢献

そして1990年にパイオニアが市販初となるGPSカーナビをリリース。その後、道路情報の充実やメモリー系の発展などによってナビは格段に進歩を遂げる。加えて価格もリーズナブルとなって一気に普及する。

1990年頃には「21世紀になったら軽自動車も含めてカーナビ装着が当たり前になりますよ」との声も聞かれた。当時は「そんなことないだろう」と思っていたが、2020年の今見渡せばナビは本当に当たり前のものとなっている。そしてスマホとのリンクやクルマ同士の通信などさらなる広がりを見せている。

1981年にスタートしたホンダ エレクトロ ジャイロケータは、2017年にその技術がその後のナビの発展に大きく寄与したことを認められ「IEEEマイルストーン」に認定された。これは開発から25年を過ぎた技術を評価するもので、自動車業界として初となった。

ホンダの未来を見据えた技術が大いに評価されたのだ。今や当たり前すぎで、有難みも感じなくなっているかもしれないカーナビはこうしてホンダが切り拓いてきたのである。

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