BBCなど複数の英国有力メディアが、英国のメジャーメーカーのひとつであるノートンが、破産申請をしたと報道しています・・・。果たしてノートンブランドの運命は・・・どうなるのでしょうか?

経営母体を変えながら、引き継がれていったノートンブランド

1898年創業のノートンは、1902年よりモーターサイクルの生産を開始。1907年から始まったマン島TTなどのロードレースに精力的に参戦し、数々の勝利を手中におさめることでそのブランドイメージと技術力を向上させてきたブランドです。

1907年の第1回マン島TTで優勝で優勝したノートン-プジョー。

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第二次世界大戦前、そして戦後の時代、ノートンは最もロードレース界で成功した英国のブランドという地位についていましたが、財政難によりAMC(アソシエイテッド モーターサイクルズ)にブランドを売却。1962年には伝統あるバーミンガム・ブレースブリッジ工場が閉鎖されることになりましたが、AMCはノートンの「ブランド力」を重視し、その後もノートンの名が与えられた市販車を製造販売し続けました。

1966年にはノートンブランドを所有するAMCが財政難に陥り、マンガニーズ・ブロンズ・ホールディングの下でノートン・ビリヤースに再編。つまりこの時も、ノートンのネームバリューが重視されることになり、新会社の名前にノートンが使われることになったわけです。

そして1973年、英国を代表するBSA/トライアンフの両ブランドを擁するBSAグループが破綻。英政府の介入によりNVT=ノートン・ビリアース・トライアンフが誕生します。BSAはスモールヒースの巨人、と称されるほどの企業であり、BSAは歴史のあるブランドでしたが、新組織の名前にはトライアンフとともに、やはり世界的にブランドイメージが高いノートンが残されることになりました。

1973年型ノートン850コマンド(空冷4ストロークOHV2気筒)。NVT=ノートン-ビリヤース-トライアンフ 時代に生まれた製品です。

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しかし、1960年代からの英国モーターサイクル産業衰退期という歴史の流れにNVTは抗い切ることができず、1978年にNVTは消滅の運命を辿ることになったのです。

ノートンブランドが復活した1980年代

その後1980年代に入り、栄光のノートンブランドは複数の者が所有権を主張するという、混乱の時代を迎えました。しかし、航空機用ロータリーエンジンを製造するミッドウェストがその正当な継承者となってからは、モーターサイクルメーカーとしてのノートンブランド復活への胎動が始まることになります。

1984年には、英国の白バイ用として開発されたインターポール2(空冷ツインローター588cc)が登場。やがてこのエンジンをベースに開発された、ロードレーサーを運用するワークスチームも発足。ロードレース界における、ノートンの栄光を取り戻す挑戦が1980年代後半に始まりました。

1992年マン島TTセニアクラス。スティーブ・ヒスロップが駆るノートンRCW588。久々のノートンのマン島TT優勝を達成しました。

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1992年のマン島TT優勝、そして1994年の英国選手権(スーパーバイク)制覇と、ノートンのロータリーレーサーはロードレースの分野で成功をおさめましたが、ロータリーエンジンの市販車の販売利益は組織を維持できるレベルではなく、1996年にはシェンストーン工場は閉鎖されることになり、再びノートンブランドは雌伏の時代に入ることになります。

ドニントンパーク時代の終焉・・・この後ノートンの復活はあるのでしょうか?

1990年代後半、アメリカでモーターサイクルのレストアビジネスを営んでいたケニー・ドレアは、新時代のコマンドの開発という野望をもって、そのプロトタイプを設計しました。残念ながらドレアの元にエンジェル投資家は現れなかったため彼の手によるノートンモーターサイクル復活は果たせず、2008年にドレアの図面とノートンのブランドは、英国の投資家であるスチュアート・ガーナーに譲り渡されることになりました。

ガーナーはドニントンパークに新工場を設立。2010年からドレアの図面をベースに270度クランクの並列2気筒マシン、コマンド961の生産をスタートさせます。

2009年に公表された、ノートン コマンド961スポーツ。21世紀版のコマンドとして、多くのモーターサイクルファンの注目を集めました。

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その後ノートンは、コマンドの量産のほか、マン島TTでのロードレース活動を復活させるなど、多くの話題を2輪業界に提供することになりますが、BBCの報道によると現在ノートンは税の納付に苦心する状況にあり、清算される局面を迎えつつある・・・とのことです。

また、世界五大会計事務所のひとつであるBDOは、債権者の利益を保護しつつ、すべての当事者の苦痛を最小限にすることを念頭に、できるだけ迅速に清算方法を決定し、それを実行しなければならない・・・とBBCの取材に答えています。

2019年5月にノートン代表のガーナーは、同社の堅調な業績と新工場の設立計画をアピールしていました。しかし、今年1月に入ってガーナーは地元紙に、多大な額の税金の支払い義務を負っていること、そしてそれを期限までに納められない場合、社が清算される可能性があることについて言及していました・・・。

2017年マン島TTを走る、ノートンワークスレーサーとJ.ブルックス。

www.iomtt.com

果たして、今後ノートンブランドはどうなっていくのでしょうか・・・? 今後も引き続き、ノートンの動向を注視していきたいです。